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沖縄(琉球)のお墓について(Ⅱ)

護佐丸の墓

 沖縄の墓について色々と考えている。まず本土(本州列島)の墓に対する考えかた・風習・制度が全く違うことに驚かされる。(初回の内容と重複することが多々ある点、ご容赦お願いしたい。)
(1)我々今生きている(現生)は仮の宿である。
(2)墓は永遠の住処(すみか)である。
ということである。沖縄へ旅されて驚かれることは、大きな町の中に不思議な入口のある建物が突然現れる。しかも家と家の間に堂々と存在している。さらにそれが墓ともなれば驚くのも自然だろう。
本土の話かつ私事であるが、先祖の墓参りで、墓洗いをしていても隣接する墓に水を掛けてしまったり、墓掃除や墓石を拭いている時に、これまた隣接する他家の墓石(外枠であるが)を踏みつけて恐縮することも、多くの方が経験しているのではないだろうか。しかし、沖縄ではそんな心配はない。何せ墓の規模が大きいのだ!(大き過ぎると言ってよい。)しかも墓石が無い。当然、墓洗いなど無いのだ。さらに「御清明祭(ウシ―ミ―サイ)」といって4月の初旬に、先祖の墓参りをする大イベントがあるそうだ。


沖縄学の父 伊波普猷の墓

 墓の前の広場、つまり墓庭という広いスペースがあり、そこで親戚一同が集まり飲食歌舞する。何とも明るいほのぼのとした光景だろう。本土では、飲食はせず、仏花、線香、果物等のお供え物をするが、これもカラス等の動物の格好の餌となるので、最近はブラスチック性のミニチュアも販売している。いずれにしても墓参りはせいぜい30分程度であろう。それに比べて沖縄の墓参りはかくも何故異なるのか?。
つまり、墓に対する考え方が全く違うということである。そして、本土と比べて明るいのだ。墓に対する暗さ、陰湿性が全くないのは、墓が永遠の住処(すみか)という考え方が根本にある所以である。

掘込墓の墓口より内部を見る(棚状になっている)

 ここまでは序論で、これから墓の構造について考えてみる。沖縄の墓の基盤は、風葬+洗骨改葬という二段階の儀礼・所作が最大の特徴である。
棺に入れられた遺体はまず「墓口=墓の入口」から搬入され、「シルヒラシ」という場所に数年から十年程安置される。つまり遺体が自然に腐敗した後、骨化するまで安置するのである。「シルヒラシ」のシルは汁だ。ヒラシは乾かしとのことであるが、人体の腐敗⇒体液が地下に浸透する。肉片は腐り骨化する。火葬と違い時間がかかるのは当然である。上記写真の墓室内でその儀式は行われる。(想像するだけでグロテスクな状況が伺えるが、人間である限り誰もが経ねばならない宿命である。)その後、その骨を洗う「洗骨」という行為を経る。「洗骨」は主に女性がされるそうだ。先祖のお骨を洗う行為。何とも厳かな神々しい行為なのか。感動すら覚えるのは言い過ぎだろうか!「洗骨」されたお骨は、「厨子甕」という容器に入れられる。入れ方も足の方が下方、最後に頭骨が納められ甕蓋が閉められる。それらは上記写真からみえる棚(段)に安置される。つまり墓室は、風葬場所である「シルヒラシ」+「厨子甕」の納骨堂という二重構造をとるのである。
沖縄の墓の代表例というべき「亀甲墓」は、亀の甲羅状の【屋根】+【墓室】+【墓庭】(シ―ミ―では親戚縁者が集まり飲食歌舞する場所、もちろん礼拝場である。)で構成される。本土のお墓とは全く違うのだ。

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