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沖縄(琉球)のお墓について(Ⅴ)

 沖縄(琉球)の墓について色々と考えている。これまで訪れた墓は王族や貴族(琉球風にいうと按司)等の名だたる墓である。あるいは今なお継承され、かつ数千という膨大な人々が葬られた門中墓とよばれる墓であった。ここでは、これらと異なり縁の無い墓、無縁墓について考えることにする。

八角形古墳の隅角部分(八角形の内角は135度)

 
 無縁墓(法律上では無縁墳墓と呼ぶらしい。葬られた死者を弔うべき縁故者がいなくなった墳墓のこと)とは、縁が無い、あるいは縁が無くなってしまった墓のことで、墓が存在しているということは誰かに葬られたのであり、そういう意味では多少の縁はあった墓である。しかし時間を経て参る縁者、関係者が居なくなった状態の墓は無縁墓となり供養後、廃棄処分になる。寺の墓地でピラミッドのように積み上げられた墓石群によく遭遇するだろう。無縁仏という言葉も良く耳にする。祀るものの無い仏、つまり遺体であり、不慮の事故や身元のいない者の亡骸など、よく無縁仏と呼ばれる。

首切り地蔵群(群馬県 七興山古墳)

 さて、本題に入ろう。そうすると全国に15万基ともいわれている古墳などは、全てが無縁墓である。なぜなら葬られている人物の名前すら分からないし、祭祀もおこなわれていない。著名な歴史の先生ですら当時の有力者の墓というのが精一杯である。1500年以上も前の人の墓である。縁が繋がる訳がないと思う。しかし特別な例がある。そう天皇陵だ!。天皇陵は今なお皇族によって祭祀がなされている。誰々天皇陵といっても誰々天皇が存在した確証はないのであるが、墓に対する祀りは継続している。という意味では無縁墓ではなく、不適切な言葉だが有縁墓といえる。

破壊された亀甲墓

 無縁墓の処理について述べる。ここで沖縄に注目が集まる。墓を移転する際には地域の都道府県(多いのは宗教法人らしい)が官報で「改葬公告」という公示を出す。1年以内に申し出がなければ強制的に撤去が行われる。沖縄は公共工事や宅地造成で発見される無縁墓が多く、それによる改葬は極めて多い。もうお分かりかと思うが、亀甲墓や破風墓等は門中墓という集団墓ある。集団墓であるが個人墓でもあるので沖縄の各地域に無数に分布する。当然工事によって発見される率が高い⇒発掘調査⇒開発破壊というルートを辿る。亀甲墓の墓室内には沢山の蔵骨器(厨子甕)が安置されている。沖縄戦以降、米軍によって多くの亀甲墓が破壊された。また米軍基地内の墓群は意図的に破壊され埋められた。それ以前に厨子甕等は移転されたのだが、開発で再び発見され、お骨が残っていると「改葬公告」が発布される。期限は1年間だがほとんどが申し出が無く期限切れとなり、まさに無縁となる。要するに沖縄での墓事情として、無縁墓の改葬率が高いこと、すなわち日常生活における墓と関わるウェイトは想像以上に高いということだ。

無縁墓となった亀甲墓群

 沖縄の無縁墓と改葬について適当に述べてきた。墓が存在している限り、それは無縁ではない。しかしある日を境に継承されなくなり無縁墓となる。亀甲墓の墓室は本来、多くの厨子甕が安置されていた。しかし沖縄戦で破壊され戦後厨子甕が改葬されることになった。そして改葬が終わった墓室はタナだけの空間となり、単なる箱(Box)となってしまった。沖縄の破壊された亀甲墓を見ると、古墳の末路を見ている様な気がする。というかそのものだ。しかし、ここに一人の無縁墓に参る輩が存在する。無縁墓であってもそこには縁が生じた。その墓は無縁墓ではなく有縁墓になった。



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