沖縄(琉球)のお墓について(Ⅲ)
沖縄(琉球)の墓について色々と考えている。亀甲墓を掘るという特別な機会があり、それを契機に琉球王族の墓を訪ねている。本土と違い葬儀の方法(葬送儀礼という)が全く違う事、墓の専有面積が格段に広い事等、カルチャーショックを受け続けている。その中で沖縄の最も大きなお墓はどこかと調べていると、表記(写真)の糸満市にたどり着いた。巨大な面積をもつ墓のある糸満市は、沖縄本島でもこの地域(本島南部)だけの特殊な風習があった。門中(この地域では腹baraと呼ぶ)墓である。
門中とは、血統を一つにする父系親族全体の集団である。沖縄本島の門中(沖縄語でムンチュ-)は父系親族であり長男のみ資格を有し、次男、三男となれば分家することになる。ところが糸満では門中は長男のみの規定はなく、血統の繋がる父系親族全体の組織であり、自ずから規模は大きくなる。門中の構成人員は巨大で、葬られる墓も当然巨大となる訳だ。基礎的な予備知識を入れたところで、沖縄最大の墓を見学(というよりお参り)しよう。
史跡案内のような目立つ案内板があるが、あくまで現在も継続する一般人のお墓である。物見遊山や興味半分で訪れることは慎まねばならない。敬意を表し正面に一礼した。鍵は掛かっておらず入所は可能であったが、今回は控えさせていただき、数枚の写真を写させていただくに留めた。
正面外から眺めても敷地面積は広大で、約1600坪を有するという。1694年に建立され、本来は亀甲墓であったそうだ。門中の構成人員に比例して埋葬人員が増加し、遺体保管場所が手狭になる。ついに1935年には亀甲墓から現在の箱型の破風墓に大きく改修された。
琉球の墓では風葬が慣習化されていた。風葬するには墓室に遺体を安置し風葬させる場所が必要である。この場所をシルヒラシという。亡くなったばかりの人の遺骸を入れた棺を、このシルヒラシに安置させ数年から十年程度放置させる。シルヒラシ⇒汁(体液)を減らし(乾かす)という意味であり、想像するだけでもグロテスクな状況であるが、同じ人間である以上、避けては通れない現象(事実)である。真正面から向き合う以外あるまい。風葬を経て神となり厨子甕に納骨される。(『日本書紀』にイザナギが亡くなったイザナミを見たいために部屋に入り火を灯したタブーを表現する場面がある。古墳時代に造られた横穴式石室内の遺体腐乱状況を表現しているそうだが、シルヒラシ場所は正にこの状況であった。)
糸満にある門中墓は、沖縄本島の他地域では見られない風習が残っていることを記した。墓に入る構成人員が拡大すると亡骸を安置する場所(シルヒラシ)も手狭になる、施設の増築で規模が大きくなるという図式である。糸満では洗骨された遺骨を納める墓として当世(トーシー)墓が別となっている。上記写真は亀甲墓の墓室内部であるが、シルヒラシの後方は通常3段~5段の棚(タナ)になっており厨子甕が順次安置される構造、つまりシルヒラシと納骨安置場所が同一なのである。門中の構成員の増大でシルヒラシの場所と納骨場所を分けざるを得なかったというのが実情であろう。
沖縄最大のお墓を見たく本島南部の町、糸満を訪ねた。お参りさせていただいた幸地腹門中墓・赤比儀腹門中墓の両門中墓に埋葬された方々は4千名以上であるという。何ともスケールの大きい合葬墓であろうか。
また、そこには沖縄(琉球)がもつ血縁関係の結束力を強く感じた。言い換えれば、現在我々(大和人)が忘れかけている、人と人との繋がり、とりわけ血縁関係の希薄性に対する警鐘を鳴らされたような気がした。
*この度はご関係者の許可を得ず、撮影をさせていただきました非礼に対し、心よりお詫び申し上げます。そして両門中之墓、ご先祖様の御霊に…(合掌)させていただきます。
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