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佐敷(さしき)ようどれ&伊波普猷

 沖縄学の父と呼ばれた伊波普猷が、ようどれという言葉は古代琉球語で墓を表しているのではないか!と言った根拠となった墓である。

佐敷ようどれ墓口

 「佐敷(さしき)ようどれ」は、沖縄県南城市の航空自衛隊知念分屯基地の敷地内にある。当然基地には無断で入所できないが、御拝礼という名目であれば快く受け入れてもらえる。(見学には、身分証明書の提示、必要書類に記入が必要である。)隊員の案内でようどれ近くの駐車場まで車で行ける。歩いて数分、「佐敷ようどれ」はあった。

側面からみた佐敷ようどれ

 説明によると、三山を統一した、かの有名な尚巴志(しょうはし)の父、尚思紹(しょうししょう)夫婦と家族7名の遺骨が安置されているそうだ。
1764年に本来あった佐敷西上原という場所から当該地へ移転している。墓としては岩盤を掘り込んで墓室をつくる「掘込墓」で墓口は切石で仕上げている。屋根も曲線で破風形になっており古い要素であろうか。あまり資料がないのでわからないが、知識はどうでもよい。尚思紹の墓前で空気を吸う!それだけでよいのである。本土は真冬日というのに今日は半袖、汗ばむ陽気た。縁もゆかりも無い(これまで無かった)尚思紹家族に、今日からご縁ができた。燦燦と照り付ける太陽の下で、尚家族に喜ばれた…そんな気がした。

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