守ろう、私の大切なものを。

遭遇は突然に

6年前、私にとって大きな出会いがありました。
それは今も応援し続けている「星野源」との遭遇でした。

遭遇、とは言っても、もちろん実際に会ったわけではありません。
テレビの向こう、インターネットの動画の中、ラジオの電波、雑誌の中。
たくさんの媒体で星野源を知り、その理解不能な面白さに全身を打ち砕かれ、気がつけばチケットを握り締めてライブ会場に立っていました。
唯一の遭遇はライブ会場、もちろんステージの上と遠く離れた客席の距離を置いた中での遭遇でした。
それでも「同じ空間にいる」という感覚は震えるほど嬉しく、その余韻は今も心にしっかりと刻み込まれています。


殻の中

それまでの私は、目に見えない殻の中にいました。
仕事、家事、育児…目まぐるしく襲いかかる日常はどれもこれも自分を追い詰め、気がつけば私は厚い厚い殻の中に自分を置くようになりました。
頑張ったって報われない、楽しもうとすると邪魔が入る、感じることに疲れた。
だから辛いことも苦しいことも、何も感じないように感情を殺し続けていたのです。

何も感じなければ、どんなに辛いことにも苦しいことにも傷つかないから。



星野源との出会い

そんなある日、ドラマで星野源という人を知りました。
最初はただの興味本位で、その活動をチェックしているだけでした。
けどその活動は俳優だけではなく、音楽、執筆、コント…想定外の連続でした。
あまりに予想を超えた人物。
私が「深く知りたい」と思うまでに、そう時間はかかりませんでした。
そして星野源を追いかけていくうちにたどり着いてしまったのが、そのライブ会場でした。

その音楽は、殺していたはずの感情をいとも簡単に叩き起こしました。
ライブ会場にとどろく音楽、歌、光、熱気。

楽しい。

それはあまりにも楽しくて、もう鼓動が高鳴るばかりでした。
気がついたら狂ったように踊り続け、そして放心していたのです。
久しぶりに感じた「楽しい」という感情は、涙が出るほどに大切なものだったのです。
それは今まで殺し続けていた「辛い」「苦しい」を感じてなお、手放したくないものでした。



大切なもの

「推し」という言葉があります。
応援する人や物のことを指すもののようですが、私にとって星野源は間違いなく「推し」です。
大好きで、応援していて、誰かにオススメしたい、そんな人物です。
きっと生きていく上で大切な「楽しむこと」を改めて教えてくれた星野源、私はどこまでも彼を応援していきたいと思うのです。

「楽しい」を大切にすること。
きっとこれは、生きていく上でとても大事なものだったのです。
心を殺している時、それは辛くも苦しくもありませんでした。
けれどもそんな歪んだ平穏の代償なのか、楽しくも嬉しくも感じられないのです。
もちろん、その時、私は生きていました。
そして当時の辛さを乗り越えるためには、どうしても必要なことだったとも思います。
心を殺さなければ、心や身体が壊れていくことは明白でしたから。
けれども「楽しい」を取り戻した今、もうそこに戻りたいとは思いません。

やっぱり、笑っているほうが楽しいですから。



もうひとつの大切なもの

ただ、私はその「楽しい」を守るために、もうひとつ心に誓っていることがあります。
それは「推しの楽しい生活を守ること」です。

私が見ている星野源は、あくまで「見せるため」の星野源だ、ということなのです。
好きすぎて色々と情報を網羅していくうちに、垣間見えるのがその生活です。
当然のことながら、推しであってもひとりの人間です。
生きていくためには寝て起きてごはんを食べて、生活をしていくことになります。

もちろん、ご本人がそれを伝えてくれるのは大歓迎です。
けどそれを必要以上に求めることは、結局推しているはずの人物を疲弊させてしまうことにもなります。
常に情報を探られ、オンオフ関係なしに追いかけられ、心がボロボロになっていく話を聞いたことがありました。
それは、心を殺していた自分を思い出させる話でもあったのです。

応援したいだけなのに、追い詰めるなんて本末転倒すぎる話です。
好きな芸能人ができて追いかけるうちに、そんな現状を目の当たりにしたのです。
推しには元気でいて欲しい、だからこそできる事があるはずだ、と。

なので、応援すると同時に私は「不要な情報を見ない」ことも徹底することに決めたのです。
悪意だらけの情報、根も葉もない噂、それを見てしまったら結局はそれに加担することにもなりかねません。
見たいなあと思うこともありますが、推しのためだと踏ん張ってそこは我慢します。
まあ、星野源に関しては情報を追いかけすぎているので、ご本人の言葉かフェイクかはタイトルを見れば大体想像もつきますしw



楽しいを創造しよう

推しが「芸能人」としても、そして「人間」としても楽しく生活できますように。
楽しさを享受するだけでなく、自分の行動でも推しが元気になれますように。

そんな気持ちがあれば、少しでも楽しい世界が拡がるだろうと思うのです。
私も推しも楽しい世界、それを創造することこそが私の大切なものですから。


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