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私が【MIU404】を観続ける理由

きっかけは、至ってシンプルだった。
推してやまない推しが何人も出演する、そして脚本家がこれまた推しだった。
「観る」以外の選択肢がなかった。

それにしたって、これは一体どういうことなのか。
私は本当に毎日のようにこのドラマを見返し、次週の放送を心待ちにし、放送終了後には語彙力すっからかんで虚空を見つめ放心し、を繰り返している。
正直、数年前までドラマにほとんど興味もなかったし、実際それほど観てもいなかった。
こんな事態になるなんて、正直思ってもみなかった。

それほどに「MIU404」の世界は、私を虜にしている。 


◎その世界に登場人物は「生きている」


物語を追っているうちに、主人公やその周辺人物、そんな主要キャラは当然に「日常」が滲み出てくる。
けど、MIU404はゲストであろう犯人達の「日常」も繊細に描いてくれる。

第1話であれば、おばあちゃんを見つけた先にある、孫との再会。
第2話であれば、犯人を捕まえた後の、かりそめの家族への懺悔。

頭の中には、その後の様子が思い浮かぶ。
ラストだけではなく、たった1時間弱の放送中に、たくさんの登場人物の過去や生活がこと細かに見えてくる。
それは、ほんの一瞬の表情だったり、動きの一端だったりするのだが、それが本当に「生きていると実感させる」のだ。

時折観ていたドラマにも、思わせぶりなシーンはそれなりにあった。
けれども、観続けているうちに、それがどうにも繋がらなくなったりする。
「この人物がこんなこと言う?」「えっ、ここでそうなっちゃう?」
そんなシーンが多発するドラマすらある。
どうにも私は、そういう「人物像が定まらない、理屈が揺らぐドラマ」は苦手なのだと思う。
観ていて苦痛になってきて、最終的には視聴をやめてしまうこともあった。

けど、MIU404はそれが一切ない。
何かを思わせるシーンの裏には誰かの思惑があり、裏に隠れながらも誰かが「生きている」のだ。
例えば第5話であれば、とある人物が女性に対して「悪い人と付き合ってはいけない」という趣旨の話をする。
それは一見、強盗犯との共犯を疑われていた女性への警告のように受け取れた。
しかし、話を進めて行くうちに、その台詞が指し示す「悪い人」というのが、言った人物本人のことだと気がつく。
そのことに気づけた時の爽快感、そして背景にあった「悪い」内容への辛さや苦しさ、そう言わなければならなかった人物の苦悩…それが全て「生きている」ことに繋がる。
まだドラマそのものは半ばだというのに、そんな楽しい地獄のような「生」がゴロゴロしている。


◎多彩な背景


野木さんの脚本は、世の中との繋がりがとても深くて、丁寧だ。
煽り運転(と認知症疑惑)、ACや実親からの精神的暴力、イタズラ通報と麻薬、暴力団にマネーロンダリング、そして外国人に対する不当就労…どれもこれもあまり「身近」ではない話に見える。
けど、どんな犯罪も、実はほんの近くにその種が落ちている。

「犯罪は身近だ」と言うと、大体の人は否定する。
自分だけはそんなことに巻き込まれない、と心のどこかで思い込んでいる。
そんな人にとって、このドラマは頭を殴られるような衝撃かも知れない。
ドラマで描かれるその背景はとてもシンプルで分かりやすい。
そして、どの登場人物もどこか身近な存在だ。
その距離感が絶妙だと思うし、その身近さ故に程よく疑問を投げかけてくれる。
「煽り運転は煽るだけじゃない、誰かを巻き込む可能性もある」「イタズラ通報が別な犯罪への対応を遅らせる原因になり得る」、そんなの言葉で説明されたってピンと来ない。
けど、このドラマは御託を並べずども、それを示唆してくれる。
それがまさに今の世界とリンクしていて、色々と気づかされるからだ。



◎白でもなく、黒でもない


警察の組織である4機捜は当然に「正義」だ。
けれども、初回の冒頭から見えてくるのはその組織の「いびつさ」。
機捜の基本的な業務は「初動捜査」であり、しかも24時間という時間制限もある。
とはいえ他の部署との共同捜査もあれば、ヘルプに入ることもある。

とても個人的な思いだが、私は揺らがない「正義」は存在しないと思っている。
それは「悪」についても同様で、誰が見ても悪いなんて話はないと思うのだ。
もちろん、警察で言うならそこには揺らがない「法律」という正義はある。
けれども、それを解釈するのは人間だ。
そして、人間一人ひとりが「正義」と「悪」をそれぞれ抱えている。

私は実際に起こった事件の「背景」を調べるのが好きだ。
そして、どんな凶悪犯であっても、その「背景」には「凶悪犯なりの正義」がある。
全く同意できないことも多いが、それでもその「正義」を信じている人にとって、それは紛れもない「正義」なのだ。
そして、そんな「正義」を御旗に掲げて行われる行動は、時として酷たらしい凶悪さを見せる。

結局、その人の見方によって「正義」も「悪」も簡単に変わってしまう。
それどころか、分かりやすい「正義」だって、その背景を知らずに鉄槌を下せば、それ自体が私刑(リンチ)になりかねない。
よくネットで起こる「正義警察」がその最たるものだと思う。
分かりやすい犯罪者に対して、名乗ることもしないどこかの誰かが、徹底的にその犯罪者を断罪する。
場合によってはその波がとんでもない数になり、私刑は現実世界にまで浸透し、最悪の場合…実在する人物を「殺す」。
それは社会的な死だったり、肉体的な死だったり。
そんなことが起こるのが「現実世界」なのだと、毎日のように流れてくるニュースを見ながら思うのだ。

第3話での桔梗隊長の言葉が、頭に浮かぶ。

「罪を裁くのは司法の仕事、世間が好き勝手に私的制裁を加えていい理由にはならない」

4機捜は、そんなグレーな世界を毎日のように見ている気がする。
白でもない、だからと言って黒でもない。
実際に私達が生きている世界は、白、黒、そしてグレーに溢れている。
誰かが簡単に白黒つけられるほど、世界の構造は簡単なものじゃなくなっている。
そんな現実を受け入れてなお、犯人を見つけなければならない。

主人公である伊吹も志摩も、全く違う個性を持つキャラクターだ。
なんとなく序盤はお互いに白っぽい服や黒っぽい服が多かったが、その個性は「白」でも「黒」でもない。

伊吹は野生のバカと言われながらも「誰かを信じたい」と願い、その裏で許せない人物に対しては発砲も厭わない激しさも持っている。

それに対して志摩は理路整然としているが「他人も自分も信じない」と言い、そのくせ事件の最後には誰かを思う優しさを見せながら、平気で銃口を自らの額に当てる。

この2人を「白」「黒」でなんて、分けられない。
けどそこが「生きている」人物だと言っているようで、愛しくて堪らないのだ。



◎救われない世界と、救いの手


先日、MIU404の脚本家・野木亜希子さんが、Twitterでこんな発言をした。

「人はそう簡単に救えないし、救われない。」


私はこれを聞いて、背筋に震えが走った。
これまでに5話見てきたけど、それぞれが心に持っている深い闇のような部分が、たぶんあるのだと思う。
そして、私はこれほどに没頭して観ていたはずなのに、いつしか心のどこかで「物語の大団円」を期待していた。
それこそ、とても無責任な感情として「みんな幸せになってほしい」と願っていた。

けど、野木さんのこの一言で、私は我にかえった。
朧気に見てきたはずの、底が見えないほどの深い闇。
それが、そんなに簡単に「白」になる訳がない。
そこにいる伊吹も志摩も生きている以上、そんな都合のいい話がある訳がないのだ。
私は勝手に、野木さんが「この世界を、もっと見ろ」と言っているかのように思えた。

たくさんの分岐点がある中で、どこかで道を踏み外し、ひとり闇を抱えてしまう。
戻れることもあるけど、戻れないことだって、ある。
これは第3話で語られた、続に言うピタゴラ装置の話だ。


犯人を殴り続け拳銃を向け8年間も左遷されていた、伊吹。

「相棒殺し」を揶揄され、エリートである捜査一課から4機捜に来た、志摩。



それをポンと誰かが解決する、そんなご都合主義のドラマは見たくない。



そう思うのなら、これから起こることを覚悟して観ろ。
野木さんが、そう言った気がした。

その一方で、4機捜はここまでにたくさんの人達の手を掴んできた。
殺す前に確保できた犯人、犯罪の手前で阻止できたイタズラ通報、横領という罪の向こうで自身の贖罪を成し遂げた人…。
もちろん、ただ「よかったね」だけで終わる話なんて、ひとつもない。
けど、そこには確かに「救い」があった。

その救いの手を向けたのは、間違いなく4機捜だ。


◎日常の中にある会話劇


ここまで真面目で深くて暗い話をしておきながら、このドラマには笑いが溢れている。
なんせ伊吹と志摩の会話は、基本的にコントのようだ。
たぶん2人はそれぞれ普通に話しているだけなのに、テンポが良すぎてキレッキレなのだ。
伊吹は天然と野生を掛け合わせた絶対的な可愛いらしさ(時折吠える悪ガキらしさも)全開だし、志摩は冷静に見えて喜怒哀楽を出すのはためらわない(どころか結構な激情っぷりだ)。
話が進むにつれ、陣馬さんの保護者っぷりや男前っぶり、九重くんもインテリだけでなく感情を昂ぶらせていきなりお国言葉を放ってみたりと愛らしさをぶっ込んできた。なにそれかわいい。
隊長らしく語気がキレまくっていた桔梗が、実は愛息子にはデレッデレだったりと、とにかく登場人物が真面目に生きているのが面白くて仕方がない。
まるで劇場で演劇を見ているような気持ちにもなったりする。

これだけの深いテーマと勢いや激しさを持ちながら、笑いもシナリオのど真ん中を突き進んでいる。
だから「機捜エンターテイメント」と言われて、納得するしかないのだ。



◎見届ける覚悟はできた


主題歌「感電(米津玄師)」に、こんなフレーズがある。

>たった一瞬の このきらめきを
>食べ尽くそう二人で くたばるまで

ドラマの要所要所で流れるこのフレーズは、最高に痺れる。
そして、このドラマを最後まで見届ける覚悟も、ここにあるのかと思った。

この先、どんな展開になるのかなんて、本当に全く分からない。
そこに幸福があるのか、それともどす黒い悪意が眠っているのか。
例えどんな事があろうとも、観尽くしてやろうじゃないか。



伊吹と志摩と、4機捜の行く末を。

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