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夢の果て

数日間,「三角エコビレッジ サイハテ」(以下,サイハテ村)という熊本県の山奥の村で過ごしていた。村で過ごしながら考えていたことを,忘れ去ることがないようにきちんと書き留めておきたい。漠然とした僕の夢の果ての話。

熊本県宇城市は宇土半島の真ん中に位置するこの村が作られたのは,2011年のことである。この年起こった東日本大震災は,多くの人が暮らし方や人生を見つめなおすきっかけとなり,その流れを受けて新しい生き方や文化を生み出すことを目的に,サイハテ村は作られた。当時人々が感じた「持続可能性」を村のコンセプトに据え,いわゆる「エコビレッジ」としてこの村は生まれた。

サイハテ村の場所

この村の存在を知ったのは,およそ2年半前のこと。その日知り合ったある人との何気ない会話の中だった。当時ずっとコミュニティについて考え続けていた僕に,その人は参考としてこの村のことを教えてくれた。

自給自足。発展しすぎた生活レベルを維持するために,地球規模で相互に助けあわなければもはや社会を維持することの難しいこの時代において,この概念を可能な範囲で体現しようとしている村があるらしい。

コミュニティ。ネット空間で抱えきれないほどに繋がりが広がり,その一方でリアルの個々が分断されていくこの時代において,小学校1クラス分程度の人数で生活を共にする小さなコミュニティがあるらしい。

当時はコロナだなんだですぐには訪れることができなかったが,聞いたこともない謎の村の,これまた聞いたことのないシステムの話は,2年以上経って訪れるほどにずっと僕の記憶に残っていた。

かくして900日の時を経て,遂にサイハテ村にたどり着いた。山の上にある小さな村。出迎えたのは,プール,畑,アースバッグハウスなど,12年間の蓄積の数々。それらを越えて歩いた先に,焚き火を囲む住民の方々がいた。自家製のヴィーガンケーキとコーヒー両手に談笑したり,雨天時でも使える様にコンクリートのタイルをテントの床に敷き詰めていたり,薪ストーブに使うための木材の切断に勤しんでいたり。昔どうぶつの森で見た様な「村」が,そこにはあった。

サイハテ村

そのまま日が暮れると,自然と人が集まって,いくつかの場所で宴が開かれた。夜更けまで和気藹々と酒を嗜み,そしてまた次の日も焚き火の周りで会話が始まる。無論ずっと全員が参加しているわけではなく,その場その場で参加したい者が参加しているわけだが,つながりは常にそこにあった。入りたければ入れば良いし,入りたくなければ入らなければ良い。自然と人は集まり,自然と会話が生まれていく。

お好きにどうぞ。
これが,この村のコンセプトだ。定例の会議なんてないし,村の税金なんて当然ない。ルールらしいルールも果たすべき義務もほとんどなく,全て住民の自己判断に任されている。やりたいようにやれば良い。押しつける対象がない以上,全ての責任は自分に帰属する。究極の自己責任の環境の中で,住民達は各々の生活を送っていた。

金銭のやりとりすらも,そう頻繁には起こらない。イベントの残りのお酒があるから,皆で美味しく消費しよう。家の作業を手伝ってくれたから,昼ご飯用意してあげる。今日野菜が取れたから,皆で少し食べようよ。お金による価値の測定なんて,この規模のコミュニティには必要ないのだ。

コミュニティマネージャーに寄れば,これは一つの社会実験だと言う。僕たちが生きる資本主義の世界は,行動経済学でいう市場規範と社会規範がごちゃ混ぜになり,Give & takeの文脈と,Giveだけの文脈が混じり合った世界。それ故に,僕たちはその切り分けに日々苦戦している。だからこそ,この村にはお金がない。だからこそ,この村にはルールがない。利益が消え,そして各々が行動の結果を深く考える環境にこそ,真の贈与は生まれるのかも知れない。これらを取り除いたその先に,贈与の世界は実現可能か。それを実践しているコミュニティこそが,サイハテ村なのだ。

生み出した価値で評価される資本主義の競争社会に生きてきた我々は今,その価値で人類を凌駕する新たな存在との生き方を模索する時代に直面している。中でも2022年は,Generative AIと呼ばれる一連の技術の登場が世界を震撼させた。従来は推薦,異常探知、画像認識といった特定の分野に縛られていたAIの可能性は大きく広がったと言えるだろう。簡単なプログラミングであれば,AIに依頼するだけで誰でも作れる時代に。テキストを入力するだけで,イラストを生成することすらもAIができる時代になった。医療だって,定型的な問診,診断,検査,治療。ただ歯車として回り続けるだけの存在であれば,いつの日か置き換わってしまうことは日の目を見るより明らかだ。

だからと言って資本主義の競争社会から完全に逸脱した生活がしたいわけでもないし,したいといってすぐに出来るものでもないだろう。むしろ,僕は強欲に「それ以上」がほしいのだ。卒業すれば(きっと)医師として働くことになるだろうし,仮に医師としてのキャリアに終止符を打つときが来たとしても,その先も競争社会の中で進むことになるだろう。しかし,それでもいつか,仮に人間の中で一芸に秀でた存在になることが出来たとしても,それでもAIの発揮する価値には足下にも及ばない,そんな日が来ないとも限らない。そんな時にこそ,豊かさを決めるのは社会的資本だ,僕はそう思っている。そう思っているからこそ,社会的資本とは何かを求めてサイハテ村を訪れた。

サイハテ村の住民の方々は,今が幸せだという。それはそうだろう,好きでこの村に移住してきたのだから。幸せだと感じる理由は,人それぞれにあると思う。ある人は,東日本大震災の震源地に住んでおり,あの経験からこうした居場所の大切さを感じるようになったという。またある人は,お金のために生きる生活からある程度抜けだし,今この瞬間を子供達と過ごせているかけがえのない時間に意識が向いたことで,幸せに生きられるようになったという。(少し表現に語弊があるかも知れない)

勿論,サイハテ村は「唯一解」ではない。正直に言えば,今の僕はサイハテの暮らしに完全には適合出来なかった。ミカン畑への影響を考えて風呂場のアメニティが制限されるのはしんどかったし,徒歩で行ける距離に全くお店のない生活は,そうは言っても不自由だ。コミュニティの中に四六時中いるという生活では,東京の自室のような「自分の時間」を取ることは難しく,作業に耽っていてもどこか落ち着かない感覚があった。東京での僕のルーティンとサイハテで流れる時間はあまりにもずれていて,数日の間ではなじむことは出来なかった。

僕の目指す社会的資本の答えは,サイハテの暮らしとは異なる所にあるのかも知れない。僕らには僕らのコミュニティのあり方があるのかも知れない。それでも,僕たちが作り上げるコミュニティの本質は変わらない。贈与と競争のジレンマの中で,それでも贈与が回るコミュニティ。僕の追い続ける「幸せ」の為には,それは必ずなくてはならない要素だ。GiveとTakeのバランスは,誰かが崩せばコミュニティは崩壊する。それ故に,僕たちがやろうとしていることは,非常に難しいことなのかもしれない。信頼がなければ決して越えられない高度なハードルなのかもしれない。

サイハテ村は,少人数の村としてそのあり方を見せてくれた。かつて訪れた南医療生協は,10万人でその実現を目指すサイハテの対極に位置するコミュニティと言えるかも知れない。近年,コミュニティのあり方について人々が考えるようになり,コミュニティのあり方も進歩してきている。DAOなんていう相手の顔も名前もわからない分散型コミュニティすらも数多く生じ始めた。まだまだ先は長いけれど,いつか今度こそ,僕たちは永続する贈与のつながりの仕組みを構築する。やはり今でも,ここが僕の終着地だ。その確認が出来た1週間だった。


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