マーダーミステリーを構造解析する

マーダーミステリーとはなにか?

マーダーミステリーとはどういったゲームのことを指し、なにが魅力なのでしょうか。
殺人事件の犯人を捜すゲーム? 役になりきるロールプレイが楽しい? 情報の断片をまとめて犯人を追い詰めていくのが興奮する?
これらはマーダーミステリーの魅力のある側面は捉えているものの、全体像の説明にはなっていません。
マーダーミステリーというジャンル名とは裏腹に、殺人が起きないマーダーミステリーも成立しえますし、ロールプレイや情報のパズル解きだけが面白さの源泉ではありません。
歴史が浅いゲームジャンルで急激に広がっている最中ということもあって決まったシステムがなく、ゲームによってプレイの進め方や体験も大きく異なっています。
だからといってマーダーミステリーというジャンルが定義できないかというとそうではなく、みんながマーダーミステリーだと認識している共通の大枠はあります。

マーダーミステリーを評価するにあたっても、自分で作るにあたっても、どういったゲームジャンルで、なにが面白さなのかが分かっていなければ、正しい評価を下したり、人に楽しんでもらう作品を生み出すことはできません。
そこで「ビジョン」と「ピラー」というフレームワークを使って、マーダーミステリーを分解してみます。

ビジョンとピラーとは

ビジョンとピラーはデジタルゲーム業界でゲーム開発にあたってよく利用されている戦略の立て方です。
「ビジョン」というのはそのゲームに絶対に欠かせない要素、それ抜きでは成立しない要素で、「ピラー」は直訳すると「柱」で、字義通りその「ビジョン」を成立させるための3~4の要素を表しています。
ビジョンとピラーはゲームに限らずさまざまなビジネスシーンで使用される概念です。詳しく説明するのは本稿の趣旨から外れますし、長くなってしまうので割愛します。
あくまでこれから開陳するのは私なりの分析であって、人によって意見や解釈の違いはあるはずです。「ボクの考えるビジョンはこれだ、ピラーはこれだ」というのは出てくるはずです。
それでもマーダーミステリーとは何かを探る手法として、ビジョンとピラーは有効な足がかりになるはずです。

マーダーミステリーのビジョンとピラー

さっそく本題に入って、マーダーミステリーというゲームジャンルにビジョンとピラーをあてはめます。
ずばりビジョンは「犯人探し」です。
ほかにどんなにいろんな要素が詰まった作品であっても、犯人探しがなければマーダーミステリーとは言えず、ほかの要素をすべて切り捨てていって最後に残るのが犯人探しという要素です。
マーダーミステリーの面白さの根源を突き詰めると犯人探しになります。
巷でマーダーミステリーと認識されている作品はどれも犯人探しが主題になっていますし、マーダーミステリー風ではあってもそのものではない作品は犯人探しが主目標ではありません。
ビジョンについてはさほど言を尽くさなくてもみなさん納得いただけるのではないでしょうか。

では「犯人探し」を実現させるピラーは何でしょうか。
それは「没入感を高めるロールプレイ」、「個人目標を達成するための正体隠匿」、「論理的な推理」の3つだと捉えています。1つずつ詳しくみていきましょう。

没入感を高めるロールプレイ

マーダーミステリーではプレイヤーが登場人物の1人を演じます。ゲーム中はプレイヤーとしてではなく自分が担当するキャラクターとして行動する(=ロールプレイする)ことが求められます。
一般的なボードゲームやカードゲームではプレイヤーはプレイヤーのままで、ゲーム世界の中の何者でもなく、その埒外の存在というメタ視点で進行します。この視点をキャラクター(ゲーム世界の中)にまで下ろすことでプレイヤーとキャラクターが重なり合い、エモい体験を味わったという読後感が生まれます。
ロールプレイによってキャラクターへより感情移入し、それが情動的な体験へとつながります。
インタラクティブな没入感があるというのはVRゲームや脱出ゲームも当てはまりますが、プレイによって感情が揺さぶられるということまで含めると、抒情的な体験ができるのはマーダーミステリーとTRPGくらいでしょう。

ただし没入感がある体験は簡単には実現できません。
マーダーミステリーだから、ロールプレイ要素があるからといって、それがただちに没入感へつながるわけではもちろんありません。
キャラクターの設定書をゲーム開始時にプレイヤーに読んでもらい、あとは「キャラとして自己紹介して、ゲーム開始後もキャラをロールプレイしてください」というプレイヤー依存の方法では没入感にはたどり着けません。
映画や小説などを鑑賞して感動したからといって、そのキャラクターを演じられるわけではありません。(フランダースの犬の)ネロの最期を悲しんだとしても、自分がネロだったならどう感じて、どう行動するかは出てこないでしょう。
役者はともかく、一般のプレイヤーが数ページの設定を読んだだけで、そのキャラになりきってロールプレイできるわけがありません。
どうやってプレイヤーがゲームの世界に入り込み、キャラクターと重なるのか、そのガイドとなる演出やシステム的なサポートをゲーム側で用意しないと成立しえません。

リアリティの問題もあります。
プレイヤーが共感できる、あるいは納得できる世界観やキャラクターでなければ、プレイヤーの心が離れてしまって没入できません。
キャラクターの行動や心情に納得できなければ、プレイヤーとキャラクターが重なり合うことはありません。ゲームの都合を優先した行動や設定(たとえば犯人候補として疑ってほしいという理由から要請された行動、犯人の不可解な行動を説明するための不自然なその地方の風習など)はリアリティの妨げとなります。
担当プレイヤーにとって意味不明な行動をキャラクターが取っていたなら、それについてほかのプレイヤーに尋ねられても、「私にもよくわからないが、ともかくそういう行動を取ったと書いてあるんだ」という態度になってしまいます。
キャラクターの心情や世界観のリアリティの追求は、マーダーミステリーに限らず、小説や映画、マンガなどあらゆるフィクションと共通する課題です。

個人目標を達成するための正体隠匿

犯人役以外のプレイヤーは(場合によっては犯人役も)犯人を探す/逃げ切るという全体の目標以外に、個人目標が設定されているものです。何らかの秘密を隠し通す、行動を達成する、アイテムを入手するなどです。
個人目標が与えられることはゲーム体験の深みを増すことにつながりますし、もっと実際的にゲームを成立させるための要請でもあります。

秘密も個人目標も何もないとなると、そもそもゲーム足りえません。
論理的な推理というピラーとも関係してきますが、ゲームの公平性という観点からは、すべての情報が出そろったら当てずっぽうではなく犯人が導き出されるべきです。しかし犯人以外がすべての情報を躊躇なく公開できるとなると、ただみんなが情報のピースを出し尽くしてそれで終わりということになります。
そのような状況が起こりえず個々人の思惑や駆け引きを交錯させるために、犯人以外にも個人目標や秘密が必要となります。
推理小説は情報のピースを見落としなく集めていく過程を描いていくものですが、探偵は1人で登場人物全員が積極的に手がかりを探したりはしないという点がマーダーミステリーと大きく違っています。
マーダーミステリーでは登場人物(プレイヤー)たちがやけに犯人探しに積極的で、しかも他人の秘密や荷物まで勝手に漁って情報を得ようとします。

個人目標や秘密は物語性や没入感にもつながりますし、ゲームの勝敗としての立ち回りにもなります。
犯人が実は恋人や血縁者である、被害者のことを憎んでいたといったキャラクターの背景が個人目標につながり、キャラクターをどう演じるのかという指標にもなり、さらには情動的な体験にもつながっていきます。
恋人が犯人だと知っているが、被害者が人非人であるがゆえに犯人として告発することはできない、しかし推理(ゲームプレイ)の途中で実は被害者が酷い態度を取っていた裏に事情があることを知って、このまま恋人を守るべきか、告発をすべきかで苦悩する……といった展開だけで物語が生まれ、没入感や情動性が生まれます。

犯人を探すという目標は全員が同じであってもそれ以外の個人目標があることで、両方を達成させるためにどう行動すべきかというゲーム性、優劣による勝敗が競えます。
両方を達成することでの達成感、犯人は見つけられなくても個人目標を実現したという満足、犯人探しと個人目標の追求のどちらかという葛藤や囚人のジレンマ的な状況と、ゲームの幅を大いに広げることができます。

またビジョンとピラーという話からは外れますが、キャラクターの濃淡、プレイしたキャラクターが主役級か脇役かという問題の解決法にもなります。
犯人探しという主線だけでは物語に関われる人数に限りがあります。被害者とその関係者、犯人とその関係者で5、6人程度でしょうか。プレイヤー数がそれ以上でストーリーラインが1本だけでは、物語のスポットライトをさほど浴びない脇役的なポジションのプレイヤーが出てきてしまいます。
犯人に容易にたどり着けないようにする、1公演での売上を確保するといった主催者側の事情はあるでしょうが、同じ金額、同じ時間を費やし、しかも事前情報がない状態でキャラクターを選択して、得られるゲーム体験がゲーム開始時点ですでに違っているというのは納得できないでしょう。しかもマーダーミステリーは同じ作品を1回しかプレイできません。
たまたまの配役で当たり役を引いて感涙に咽っている人がいる隣で、犯人にも被害者にもさほど絡みがないあなたはどんな気持ちで座っていられるでしょうか。
配役の濃淡の問題の解決策がストーリーラインをもう1本増やし、どちらかのストーリーですべてのキャラクターを主役級に割り振ることで、その背景として個人目標を充てることができます。

論理的な推理

ゲームの論理性は公平性を担保します。
すべての情報が開示され、論理的なステップを1つずつたどることで犯人にたどり着けるというのは、逃げ切りたい犯人と見つけ出したい人たちという対立構造のゲームにおいて必須です。
すべての手がかりがあるのに論理的に犯人が導き出せない、あるいはある程度の情報が集まっただけで犯人が1人に確定してしまうというのは不公平感をもたらします。
また犯人につながるルート(手がかり)を犯人が隠匿できるようなら、1つではなく複数用意すべきです。
不公平感は率直にいって、無理ゲーという評価につながり、満足度を下げてしまいます。

推理という面では推理小説という偉大なる先達がいて、「ノックスの十戒」や「ヴァン・ダインの二十則」といった基本的な規則がすでに確立されています。
にもかかわらず、これらの規則を守っていない作品が散見されます。もちろん作者の意図があって敢えて破るのであればよいのですが、ただ勉強不足から守っていないのではという作品もあります。

没入感、個人戦、推理……そして

ビジョンとピラーは作品のどこが面白くて、どこが面白くないのかという評価のベンチマークに利用できます。自分が好きなタイプのマーダーミステリーを知る手がかりにもなるでしょう。
マーダーミステリーを自作するにあたっても、作品のバランスが取れているか、余計な要素が混じっていないかの判断基準にも使えます。
自分ではすばらしいと思ったアイデアであっても、ビジョンやピラーと結びついていなければそれは余分な要素です。

ぜひこの考え方でマーダーミステリーと向き合ってみてください。

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