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追想の叙情曲のレビュー:物語体験の新しいカタチ

はじめにお断りしますが、『追想の叙情曲』はマーダーミステリーではありません。作者自身も「イマーシブRPG」という別ジャンルの体験だと謳っています。
とはいえ無関係というわけではなくマーダーミステリーの系譜に連なる作品であり、マーダーミステリーに端を発したイマーシブなインタラクティブエンターテイメントの新たなカタチでもあります。

形式だけ見ると『追想の叙情曲』はマーダーミステリーと非常に似通っています。
プレイヤーは配役の中から自分の演じるキャラクターを選び、ハンドアウトを読み込んでキャラクターの背景や行動原理を学びます。
作品内では何らかの事件が起こり、プレイヤーはキャラクターを演じながらその解決のために行動し、決断します。
犯人を探さないということを除けばプレイが類似しているといえます。

ただし作品の中心となるコンセプトはまったく異なっています。
マーダーミステリーにおけるプレイヤーの最大の動機は「犯人探し」です。そこには「犯人対それ以外」という競争があり、また個人目標が設定されていて、その達成のために思惑が絡み合い、時には対立します。
ゲームとは何かという定義はカイヨワを初めとして様々ありますが「ルールと競争」が基本です。そしてマーダーミステリーにはそれらがあり、だからこそマーダーミステリー"ゲーム"です。

『追想の叙情曲』のコンセプトは「主観視点で物語を体験すること」です。
そこには勝敗や点数はありません。キャラクターの心情としてそうすべきだと感じるならば、開始した直後に自分が犯人だと名乗り出てもかまいませんし、犯人探しを強行する必要もありません。
マーダーミステリーの中にも没入感やナラティブを大事にする作品はありますし、結果よりも過程が大切だと言われることがありますが、「犯人探し」というゲーム性が大前提としてあります。
それゆえにプレイヤーは二重思考を強いられます。キャラクターとしてどう振る舞うかを考えつつ、プレイヤーとして推理する、カードを引くといったメタ的で戦術的な振る舞いも求められます。良くできたマーダーミステリーは二重思考の溝がなるべく目立たないように設計されていますが、ゲームである以上は完全になくすことはできません。
だからこそ「キャラクターで在ること」にリソースを100%振れません。
一方で『追想の叙情曲』は競合というゲーム性を捨て去っています。だからこそ二重思考がなくなり、"ナラティブに全振り"することができます。
プレイ中は"ただキャラクターとして在れ"ば良いのです。

物語の世界に身を委ねて、情動的なストーリーを耽溺できます。
感情の発露は没入感の高いマーダーミステリーでも起こりますが、『追想の叙情曲』はまさにそれこそを楽しむ作品です。

登場人物として物語体験に全振りするというと、お芝居ができないと楽しめないのではという不安があるかもしれませんが、そんなことはありません。
キャラクターの背景がきちんと作りこまれていて、物語の大枠やキャラクター同士の関係性が用意されているので、キャラクターとして何をすれば良いかは自ずと見えてきます。また作者のAGATAさんも登場人物の1人として参加していてさりげなくサポートしてくれます。
他方でリニアな物語を流れに身を任せて体験するものではなく、登場人物としてどう振る舞うべきか、どんな選択をして、どういった結末を迎えるのかはプレイヤーに委ねられています。
ほど良い自由度でおいしいところだけ堪能できるといえるでしょう。
物語を楽しみたいという気持ちがあれば、ロールプレイが得意ではないという方でも楽しめるはずです。

演出面もしっかり設計されていて、AGATAさんによる演奏と歌、小物類による雰囲気づくりが没入感を高めてくれます。役者であり音楽奏者でもあるAGATAさんの面目躍如です。
肝心のストーリーに関しても、誰もが共感できる題材かつ大人も十分に楽しめる展開です。プレイヤーキャラクターの誰しもが主人公であり、プレイヤーたちが紡いだ結末はもちろん、"物語を通して何を感じ、何を大切にしたいか"という過程も同様に重視されています。
『遠き明日への子守唄』でも見られたAGATAイズムあふれる物語です。

体験型のエンターテイメントというと、ウォークスルータイプのお化け屋敷や脱出ゲームなどいくつもあって、世界観が作りこまれているものも多々あります。
それらは確かに主観的に楽しめますが、どこまでいっても自分であって別の人生を体験できるわけではありません。無色透明な登場人物として作品内に登場するとも言えます。
一方で小説や映画、演劇などのエンターテイメントの魅力の1つは、自分ではありえない別の人生を体験できることです。しかし登場人物たちに感情移入して自分を仮託できるとはいえ主観視点ではありませんし、物語を左右することもできません。

『追想の叙情曲』がそれらと異なるのは、物語の中の登場人物となって主観的に物語を体験することです。
しかもゲーム性を排したことで、マーダーミステリーと違って物語体験に特化しています。
マーダーミステリーで広まったイマーシブなエンターテイメント体験の新たなカタチであり、『追想の叙情曲』は新たなエンターテイメントのジャンルの嚆矢となりえます。

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