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狼が生まれた日のレビュー:パトスではなくロゴスによる良作

マーダーミステリーのクオリティを左右する要素としてストーリー、キャラクター、ゲーム性があります。
巷で高評価を受けている作品であるからといってこれらすべての質が高いとは限りません。ユニークな特徴があってそれがずば抜けていれば、それ以外の要素は「大目に見られる」ことがあります。
しかし『狼が生まれた日』は間違いなくどの要素もクオリティが高く、どこにもスキがない良作です。
作者の緻密な計算の上にすべての要素が築き上げられており、オンライン公演作品として最もオススメできる作品です。

『狼が生まれた日』で最も注力されているのはキャラクター毎の満足度で、どのキャラクターをプレイしても深い満足感が得られます。
すべてのキャラクターで満遍なく質の高い体験を提供するのは非常に難しいのですが、それを見事に実現しています。
マーダーミステリーには競合というゲーム性がありますが、犯人役とそうでないキャラクター、背景や目的などはまちまちで、所与の条件は非対称です。
ゲーム性という観点ではすべてのキャラクターの目的、点数の取りやすさは公平であるべきですが、ランダム性や非対称な環境でのプレイヤー同士の交渉といった計算しづらい要素があるため、そのバランス調整は容易ではありません。
さらに目的や点数と別軸で、ナラティブ体験の質というメルクマールもあります。
犯人を見つけるという同じ目的であっても、被害者の肉親と職務を遂行する警察官を演じるのではプレイヤーの思い入れが違ってきます。そして犯人を見事捕らえたにせよ、そうでないにせよ、そうしたキャラクターの背景がナラティブ体験に直結します。
これはキャラクター同士を比較してバランスを取るというより、すべてのキャラクターが物語の主人公たりえるかという個々の質を高めることでしか実現できないでしょう。

本作では高い満足度をキャラクター造詣や関係性、ポジショニングによって実現しています。
キャラクターシートは重厚長大ではなくコンパクトにまとめられていて、それでいてキャラクターに没入できる情緒的な要素が込められています。平易で簡潔に物事を伝えるのは高い文章力が必要とされますが、それがきちんと備わっています。
キャラクターの関係者やポジショニングも注意深く設計されていて、疎外感を受けるキャラクター(いわゆるバッファキャラ)が出ないようになっています。プレイヤー人数が5人というのは自然に濃密な関係性を構築できる限界に近い値でしょう。
特定の誰かが主役で自分は引き立て役ということはなく、誰もが「自分が主人公」と実感できます。

ゲームが進行するにつれて徐々に明かされていく全貌の情報量もうまくデザインされています。序盤、中盤、終盤でプレイヤーが何を話すのかが明確で多すぎも少なすぎもせず、エスカレーションも適切で、情報過多になったり、ダレたりもありません。
犯人導線も5人用ゲームとしてはちょうど良いバランスです。
またボイスチャットやユドナリウムの盤面以外に、LINEを使ったテキストのやり取りがありますが、メタ的な要素を排除しつつ個別の情報を提供できるため、ほかのオンライン作品でもぜひ採り入れるべきシステムです。対面作品ではプレイ中にスマホを見るという行為が没入感を損ないかねませんが(密談相手がずっとスマホを見ながら会話している場面を想像してみてください)、顔が見えないオンライン作品であればそうした心配はありません。

全体的に高品質な『狼が生まれた日』ですが、ユドナリウムの盤面だけは泥臭さを感じました。ゲームプレイ上で大きな支障があるわけではありませんが、洗練されたデザインとは言いがたく明確に改善できる箇所です。
また頭をハンマーで殴られたような衝撃がある作品ではありません。『ランドルフ・ローレンスの追憶』のじゃんきち氏の新作だからさぞとんでもない革新的な作品だろうと過大に期待しすぎると肩透かしを食らってしまいます。
ただしこれは過剰な期待というもので、「2作目のジンクス」はまったく当てはまりません。

マーダーミステリー作品の傑作の多くは作者のパトスから生まれています。つまり作者による作品への情熱、思い入れが迸る作品です。これに対して『狼が生まれた日』はロゴス、 つまり1つ1つの要素が計算された上で設計されています。
ロゴスによる名作が生まれるのはマーダーミステリーが成熟してきた証であり、また作者であるじゃんきち氏が安定して良作を出し続けられる証左でもあります。

なおプレイヤーにとってはあまり関係ない話ですが、『狼が生まれた日』は良い意味で汎用的であり、店舗公演が企画段階から考慮された作品です。
商業公演作品には経済性がつきまといます。公演時間が長いと参加費を上げない限りはGMの給料すら賄えませんし、1日の公演数も限られてしまいます。かといってプレイ時間が長くなったとしても、限られた没入感しか提供できないオンライン公演で価格を上げるのは難しいというジレンマがあります。そのため現実的なプレイ時間には制約があります。
本作もプレイ時間3.5時間となっていて、1時間あたりで換算すると売上は5000円です。GMの人件費や制作費、利益を考えるとギリギリというところでしょう。
またGMのやりやすさも経済性と体験の質を左右します。たしかに『ランドル・フローレンスの追憶』は傑作ですが、少なからずGMスキルという属人的な要素が体験の質に影響しています。ただゲームを進行させるだけでも相当のレベルが求められるので、商業公演として満足がいく質でGMできるのはごく一部の人に限られてしまいます。
本作はGMするだけであればアマチュアGMでも十分に可能で、万人がGMできるようになっています。そのおかげでプロGMは演出面にリソースを注ぐことができます。
こうした時間的な制約、進行面での制約がある中で、ここまで質が高い作品を提供できるというのは制作の知見や技術が高いことの証です。

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