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狭霧荘の奇妙な下宿人のレビュー:他山之石、可以攻玉

ある分野の専門家が類似した分野で必ずしもすぐれた業績を残せるわけではないというのはよくあることですが、まさに「狭霧荘の奇妙な下宿人」はその証左で、マーダーミステリーゲームとしては残念ながら失敗作と言わざるを得ません。

「非常に混乱した状況の中で情報をきちんと整理し、正しく推理することで1つだけの結論にたどり着く」という作者の制作意図は理解できます。ただ、そもそもマーダーミステリーというゲームルールの中で「混乱した状況」を作り出す仕組みがうまく機能しておらず、その意図が果たせていません。
またマーダーミステリーの面白さの要素は「推理」以外にも「没入感」、「個人戦」がありますが、推理に注力することでこれらがオミットされています。

プロの推理作家が「本格推理」という触れ込みで制作した作品ではありますが、改変しないオリジナルの状態でプレイする限りにおいて、犯人探しの推理に悩むことはあまりないでしょう。
マーダーミステリー(そして推理小説)における基本的な行動さえとれていれば詰まることはなく、「挑戦」というほどの難解さはありません。むしろ行動が基本に忠実であればあるほど容易にたどり着くことができます。

推理がそれほど難しくないことに輪をかけているのは、キャラクターの目標設定です。各キャラクターの目標は「犯人を探すこと」だけで、すべてのキャラクターが探偵として振る舞います。推理小説で容疑者と目されている登場人物全員が探偵に協力的、それどころか本人が探偵を買って出るということはないでしょうが、マーダーミステリーでは犯人探し以外に目標がなければ、必然的にそうなります。
隠さなければいけない秘密はあって、それについてはプレイ中に公表できないという縛りはあるものの、秘密の記述が曖昧でおそらく作者が意図していないであろうアクションを起こしうる書き方になっています。
それでもキャラクター造形がきちんと構築されていれば、明確に禁止されていなくても「このキャラクターの背景や性格ならこれはしないだろう」というロールプレイでカバーできます。
しかし1人の人間とした場合にキャラクターの行動は合理性を欠いています。

ゲームという枠組みで見た場合、ルールの制約の中で最大限に自分の目標を達成しようとするのは、正しいプレイヤーの姿勢です。
ルールで禁止されていないからチートする、メタ読みするといったマナー違反ですらなく、ほかの作品でも取るであろう一般的な行動で推理の難易度が大幅に下がります。

それでも推理に関しては、本格的というほどの難易度はないものの、論理の積み重ねでたどり着くという誠実さがあります。しかし没入感に関してはプレイヤーの満足度を下げる大きな要因になっています。
「混乱した状況を作り出す」という目的が先にあって、キャラクター1人1人がそれに当てはめて作られているようにしか受け取れず、キャラクターの行動原理が不可解でしかありません。
なぜある行動を取ったのか、プレイヤーが理解することも察することもできず、ただただ非合理的で、意図が読み取れるとしたら「作者の都合でそうした」というだけです。

あるプレイヤーは自キャラクターの背景設定や犯行当日の行動が、すべて「犯人を1人に絞り込ませないため」であるという役割を完全に悟ってしまっていました。
そのような状態で楽しめるとしたら、よほど自己犠牲の心か諧謔心を持ち合わせている人だけでしょう。
「奇妙な下宿人」というタイトルには合っているのかもしれませんが、そのキャラクターになりきってプレイすることはできません。

もう1つ、没入感を感じられない要因は、キャラクターの物語がバラバラであるということです。個々のキャラクターには背景設定があるのですが、それらが絡み合って1つの大きな物語が紡がれるということはありません。
さすがに被害者とのつながりという縦の糸はあるものの、横の糸はほとんどありません。
すぐれたマーダーミステリーはファネル状になっているべきです。ファネルの中をボールがどのように転がるかはその回ごとに違っても、さまざまなキャラクターの物語をボールが横切り、つなぎ合わせ、最終的には1つに集束していくことで大きな満足感が得られます。

「犯人探し」というマーダーミステリーの根本にフォーカスした作品ですが、肝心の「推理」はそれほど楽しめず、「個人戦」は推理に注力するために放棄され、「没入感」はむしろネガティブな方向に働いています。

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