合気練習 旬

先日、グループレッスンを行う側の意識として、自分にとっての旬は何か考えるとよいとアドバイスを頂いた。

今の自分にとって、捉え方の旬は、使う筋肉・骨・神経の細分化
部位では股関節です。

レッスンを受けていると、毎回様々な内容があり、優先順位がつけられない程の方法や知識が入ってきて、整理が出来なくなり、レッスンを行う側になった場合にも、その面が出てきてしまいます。

この自分にとっての旬を考えた後、使う筋肉・骨・神経であれば、形や方向、深さ、重なり方と自然に疑問と興味が湧き、教えて頂いた事がそこにピースの様にはまりだし、点であったものが腺になり面になり立体的な実感として感じる様に思う。

部位においても、きっかけは股関節でも、他の部位でも試したくなり、その際の実感の仕方はより大きな実感と感じる。

学ぶ立場において、あるトレーニング方法があったとして、言葉は悪いが「飽きる」という事は悪い事だ、前向きに日々続けなければという思いは一見努力に見えるが、そう考えると義務感の様に感じた。
 そこに、発見も喜びも、まして探求心は生まれにくいと感じる。

旬と感じる練習をしていると、自然と「本気」になり、やると「決断」する事ができる。
 もちろん「本気」も「決断」も練習の中で、ここまでする事がそうなのかと実感する体験があったからこそそれと気づいた訳ですが。

また、この旬だが、自分にとって相手(受ける側)がそうとは限らない事に注意しなければいけない。
 例えば、大トロを食べたいお客様に、旬だからと白身魚を一方的に勧めても喜ばれない。
 勧めるなら、大トロを美味しく食べるために、まずはあっさりと等、道筋をたてて勧める事が大切と感じる。(ストーリーがある)
 異なるのは、お寿司ならそういったセオリーがある程度お客様も知っているが、身体のトレーニングにはそういったものがない。

如何に、お客様側の旬と、自分の伝えたい旬を、どうストーリーを立てて繋げていくかも、合気的思想として大切にしていく。

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