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『未完』

『伊那小学校での体験的な学びを保護者・教員と考えるセミナー』に参加しました。伊那小学校保護者の座談会と伊那小学校先生の座談会でした。

保護者のお話を聞いたり、そこで働く先生方の「伊那小って…」という話を聞いたりするのは、研究発表会とは少し違った角度から学校の在り方や教室の在り方、授業の在り方を見つめる機会でした。

 子どもの事実で語り合う学年団
 感情共同体としての学級
 地域に根付いた学校
 自らの専門性を高め合う職員団

全てが子どもを中心に動いていました。
子どもの事実がより豊かになるために準備し、その事実を語り合い、共有し、次の手を考え、見守る。
その事実を、先生、保護者、地域、もちろん子ども自身が楽しんでいることが伝わってきました。


自由な学びに対して、「自分の子が医者になりたいといった場合…」という質問をした保護者の話は、僕が不安に思っていた時のことと重なりました。
若い頃、教科書を教えないとテストで点数の取れない子になり、それは将来の可能性を狭めることになるのではないかという不安です。
伊那小の先生はこう言ったそうです。「お母さん、伊那小学校の卒業生には、何人も医者になった人がいます。弁護士になった人もたくさんいますよ。安心してください。」
通知票のない学校であり、子どもの学びに寄り添おうとする学校である伊那小学校が、自信を持って発言できるというところが良いなと思いました。

「僕の授業を受けた子たちが自分の在りたい将来を実現させることができます!」と力強く言う自信が、僕にはまだありません。
しかし、伊那小学校のこの自信は、根拠無き自信ではないと思うのです。
目の前の子どもの事実を大切にするということを実直に続けてきて、脈々と受け継ぎ続けてきたからこそ言えるのではないかと思いました。

僕の『子どものために』は、まだまだ薄っぺらいものです。
しっかりと子どもの事実を見つめ、その事実をそのまま受け止めることを続けていきたいです。

『未完の姿で完結している』
 ああでなければならない 
 こうでなければならないと
 いろいろに思いをめぐらしながら子どもを見るとき
 子どもは実に不完全なものであり
 鍛えて一人前にしなければならないもののようである。
 いろいろなとらわれを棄て
 柔らかな心で子どもをよく見るとき
 そのしぐさのひとつひとつが実におもしろく
 はじける生命のあかしとして目に映ってくる。
 「生きたい、生きたい」と言い
 「伸びたい、伸びたい」と全身で言いながら
 子どもは今そこに未完の姿で完結している。
                 (元伊那小教諭)


「未完の姿で完結している」、そんなこと僕には言えません。
未完を不安に感じてしまいます。
でも、そんな自分自身がまず未完だと言うことは自覚しようと思いました。
僕も子どもも未完同士です。
一緒に楽しみ、一緒に学ぶ。
子どもと教師が一緒に成長する学級には、良い空気が流れます。
自分の目と心と実践に正直であろうと、お話を聞いて思いました。
そして、子どもを大切にし、関わってくださる方々を大切にしようと思いました。

『至誠にして動かざるものは、未だこれ有らざるなり(吉田松陰)』

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