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佐渡ヶ島の棚田に思う事

ほとんど偶発的に佐渡ヶ島に遊びに行くことになった。
そこで出会った人の話が面白く、話を忘れてしまうのも勿体ないのでノートに書いてみました。(内容についてはきちんと確認を取っていないので、間違いがあるかもしれないけど…)

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新潟県佐渡市の人口推移

第1次ベビーブームの時に、人口のピーク(13万人)を迎えたが、その後は年間1000人の減少が続き、現在は60000人を切る状況。

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佐渡ヶ島と棚田

島内食料として支えているのが佐渡市の国仲地区の稲作である。ここは、機械化が進み農機具を導入することで期間短縮となり、サラリーマンが土日を使って作業をする兼業農家が多くなってきている。
産業としては漁業の他に土建業や役所がメインである。

特にベビーブームである人口のピークに島内食料として支えたのが棚田米。国仲では耕作面積が足りず棚田で稲作も行っていた。
また、戦時中には棚田のコメを生産させていた政府が現在では減反やコンパクトシティを推進する考えについては、行政コストがかかるからとこれまで作ってきた(国に作らされてきた)里山資産を無駄にする考えだという意見を聞くことができた。

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棚田と岩首地区

平成の大合併で10市町村が佐渡市に合併されて、集落はより集落に。そして岩首地区は佐渡の中でも中心部まで車で30分以上の時間がかかる辺境の地となり生活は決して便利とは言えないが、有名なものが棚田であり、別名が岩首昇竜棚田と言われる。海岸近くの急斜面に棚田が広がるため、朝昼夕。また季節によって見せる顔が異なりそれぞれが美しいようだ。

しかし、棚田は急斜面の山地に小規模な耕作面積を棚上に作るため平野のような農機具を入れることができないため、コストが通常の3倍以上必要らしい。(とあるwebページで2kg 2000円)
これを高齢者が多く住む集落では作業的にも販売コスト的にも継続が難しいとのこと

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県外との連携

日本の原風景である棚田は日本だけでなく海外からも注目されており、ぜひ残すべきものだという話は上がるが根本的な解決策はないものの、首都圏の大学を中心に連携を取り大学生が地域連携の授業として訪問が続き何とか棚田事業が継続している。これまで5000人を超す来訪者があり1日に60人が宿泊したこともあるようだ。
この集落に大人数の来訪者を受け入れているのが、岩首小学校廃校跡地である岩首談義所というコミュニティスペースで宿泊施設ではないものの簡単な寝具や調理室(給食室)は配備されていた。

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学生を呼んでのイベントとして竹林整備で伐採した竹を使った「竹灯り」や「銀河芸術祭」など地域との関わりを楽しんでいる

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しかし、この集落で棚田を日本の原風景として後世に残したいと積極的に動いているのは少数であり多くの住民から見ると変わり者らしい。恐らく棚田がある日常が通常になっており、必要なければ廃れていくもの。それよりも本土から来る若者に日常が崩されて違和感を感じているのだと思う。

今回、偶然に繋がりご紹介頂いた縁であるが、この様な限界集落や地域おこし的な動きは多数あり成功事例の数が少ないが、地域住民のニーズや協力、活性化しようとする人の個性、都会との絡み方を考えると方法は1つではなく他の事例を参考にしながら、地域の特色を作り発信できる能力が私に問われている気がした。

おまけ(佐渡の金山)

佐渡の金山を世界遺産にというものが佐渡市で盛り上がっていた。と言っても賛成意見と必要なのかという意見に分かれていた。中身は金山の管理業者(三菱マテリアル系)や自治体が賛成派であり、反対意見としては受け入れ態勢が整っておらず、島内が混乱するだけ。一企業の施設を世界遺産にするのはどうか。(地域住民)という意見を聞くことができた。

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