【書評】西行論【基礎教養部】

●西行とは

今回は吉本隆明著の西行論を扱う。前回扱った共同幻想論は思想家としての吉本隆明が強く現れた著書だったが、今回の西行論は、文芸評論家としての側面が強く現れる書になっている。個人的な好みで言えば、断然こちらの方が読める。西行論の方が普遍性があるからだ。共同幻想論は今の時代に読んで理解できるものだとは思えなかった。

ところで西行とは誰なのか。字面だけはみたことがある人が多いように思えるが、内実を知っている人は少なそうである。なんとなく昔の偉い人というイメージだろうか。西行論によれば、西行とはこのような人物である。

西行とはなにものであったか。これは、わたしにとって最初の問いであるとともに、また、最後の問いでもある。西行が在家の武士であり、若年のある時、不明な、個人的な動機から出家したという意味では『撰集抄』が偏執している一系列の世捨て人に似ている。また、西行が、生活思想についてのべたとしても、詩歌を通じてしか、いっさいの思想を語らなかったという意味では、当時のどんな僧形にも属さなかった。西行についてわたし達が知っているのは、それだけだ。

『西行論』吉本隆明

詩歌を通じてのみ、自分を語ったというのは珍しい存在である。そして西行とはなにものであったか。これは意味の広い問いかけである。吉本隆明とはなにものであったか。このような質問に対して、人はどのように答えることができるのか。西住とはなにものであったか。これはメモリーズオフの専門家としか言いようがない。

●僧形論

・撰集抄にみられる出家の様式

西行を知るための一等資料として、まず『撰集抄』が取り上げられている。これは近世まで西行の書物だと信じられていたが、結局は西行が著者ではないらしい。ただ、中身の思想を取り出すと、これは西行に仮託するほかないと言えるようである。西行が書いたかどうかよりも、西行が書いたっぽい雰囲気があるということか。

吉本はまず撰集抄に見られる出家の様式に注目する。その様式は、とある僧が出家したり、なんから知識を得て出家するというものではなく、在家の素人が、ごく個人的なふとした動機から、世の無常を感じ、出家し、ひっそりと庵をたて、念仏にふけり、自然と朽ち果てるというものである。撰集抄は鴨長明の発心集を元に作られている節があるが、オリジナリティを見出すとすればその出家様式に他ならず、その出家様式に重み付けをすると、在家の武士の身分で突然出家した西行に、著者を仮託するのが自然だろうという話である。

・仏教的な思想の変遷

次に浄土系仏教の思想の変遷について取り上げている。浄土宗教の初期段階では、観想(修行、念仏)によって素晴らしい浄土を映像化し、臨終の際にそれを思い浮かべることによって救われるという工程に重きが置かれている。吉本はそれが源信→法然→親鸞と時代を経るにつれて薄れていくと主張する。源信まではそれが残っており、法然によって放棄され、親鸞までいくと浄土が誰もが行きたくなる場所であるという考えさえ失われた。西行が生きたのはこの中間地点に当たっている。撰集抄に現れる仏教的な思想を取り出すには、その中間地点で浄土思想がどのような状態であったかを考えれば良い。中間地点は往生の物語が名僧や名識から素人の物語へ移り変わる時期だった。

・内的な出家の理由

武門の名家に生まれ、既に歌人として名を成していた西行が、突如妻子を捨てて出家した理由を探る。本書では二つの理由が提示されている。ひとつは親友の死をきっかけに出家した話と、片恋の話である。ただこれらは伝承の域を出ない。虚像を全て引き剥がすと、理由なき出家しかあり得ないように思われれる。

出家は、いわば、平安末から鎌倉期にかけての前衛的な思想であり、創業は、ある意味で前衛的な思想でもあった。青年が流行の思想に踏み込むのに、いつの時代でも、さしたる個人的な動悸が必要なわけではない。そういう意味では、西行の出家を時代思想に埋没させても、よいように思われる。

『西行論』吉本隆明

発心集にも、訳もなく出家する男の話があるらしい。あれこれと理由をつけるよりも、理由なく出家する方が、本当の出家ではないのか。発心集の話はそう述べている。

・外的な出家の理由

西行は、たぶん、出家直前に、ひとつの岐路にたたされていた。それは、いってみれば、武門としてこのまま合戦の中にまみれていく道をえらぶか、出家遁世によって時代の浄土思想にさきがけるかということであった。

『西行論』吉本隆明

時代は保元の乱の十数年前で、このまま同じ身分を続けていれば、合戦に一武将として参加することになる、という話である。結果を見れば西行は合戦に巻き込まれる方を回避した。ただ西行は出家しても都を離れることがなかった。吉本は宮中から離れると内実がよく見えるからだと説明する。西行の歌の中にも、騙されて譲位させられた崇徳院に対する思いを歌った歌や、己の過剰な倫理観に対する絶望を歌った歌があった。

●武門論

西行の運命を変えた出来事として、崇徳院の譲位を取り上げている。そして大きな問題を引き起こしたシステムについて解説する。この章は政治システムの解説なのであまり興味がない。西行の出家はその出自ゆえに、政治状況と無縁ではなかったし、読まれた歌も然りということだけわかれば良いと思う。

●歌人論

⚫︎新古今的

歌に疎いので何を言ってるかあまりよくわかっていない。新古今の特徴は読むたびにイメージが喚起されることで、古今の特徴は定型のイメージを組み合わせることだと言ってるように読めるが、何がそれを引き起こしているかは読めない。西行は新古今和歌集の中では最大の歌人であるものの、その特徴には全く当てはまらないようである。なぜ当てはまらないのかはよくわからない。新古今の特徴は言葉が生み出すイメージの世界だとすれば、西行の特徴は言葉で概念を示すと読めばいいのだろうか。西行の歌は実体験ではないと言っていることからも、そう読める気はする。

⚫︎歴史に加担するか宗教に加担するか

武門として合戦に身を投じるか、出家して仏の道を進むのか。歌を分析していくと、そのような岐路に立っていたこと、二択の中で宗教を選択したことが見えてくる。その葛藤を歌に込めて表現できる力量のある歌人は西行の他にはいなかった。

⚫︎月

西行に特徴的なワードが取り出され、その解説が続く。最後に提示されるのは月に関しての歌である。吉本によれば西行は月を単なる風景から、今生と来世の境界にある合わせ鏡としての、形而上的存在まで高める歌を確立した人物であるらしい。私に西行がそのような人物足るのか判断する材料は全くない。歌の良し悪しとは一体なんなのか。しかも信仰の「月」の歌自体は平凡な出来で、西行ほどの歌人がなぜこんな歌を作ってしまったのか、とまで言っているが、結局何が良くて何が悪いのかはわからない。初心者が読むにはハードルが高い部分だった。

⚫︎終わりに

私の読解力及び歌に対する知識の無さから、深いところまで入り込めなかった本になってしまったが、文芸評論とはどのようにやるべきなのか、という点で読むと、得るところは大きかったように思う。断片的な記述や歴史的な事実から、想像的論理を駆使して作者の胸中に迫り、オリジナリティを抉り出すというのが、文芸評論がなさんとすべきところなのだと感じた。

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