頑張れないよ、頑張れないよ、そんなんじゃいけないよ

 歳をとった分だけ自分がつまらなくなるのを感じていた。きちんとした人間になろうとすればするほどつまらない人間になっている気がした。パック詰めされた日本酒を血液などと称し、昼ともなく夜ともなく酔っていた20歳の頃。学校には行かず、共有のテレビを占領してひたすら人間性を捧げていた。恐らく自分史上一番愉快な人間だった時期はあの頃だろう。破滅的な時期が愉快な人間である時期とするならば、今の僕の方が愉快な人間であるはずなのに、一体どうしてなのか今の僕は何も面白くない。あの頃の僕の方がもっと感性は豊かだったように思う。それが若さなのではないだろうか。若さゆえの感性。当然ただ歳をとっただけの人間が若さに敵うはずがないのだ。人は若さと引き換えに人間としての成熟を手に入れるのではない。歳をとっただけで人間性は成熟しない。若さを失っていくその最中の経験を糧にして成熟する。若さは代価ではなく、ただ使い果たされていく燃料なのだ。だから今の自分は愉快ではないのだと思う。僕は他人から面白い人間だと思われたいわけではないけども、自分で読み返して面白いと思う文章は書きたいと思っている。思ってはいるが、なかなか難しい。そもそも毎日家にいる男がその状態のまま面白いものを書きたいと思っているから難しいのかもわからないが。

 いよいよ生活費が尽きかけている。8月末に仕事を辞め、給料の残りと失業保険と母親がくれたお金で半年間生き残ってきたが、働くか死ぬか心を決めなければならないようである。といっても死ぬのは良くないなと最近思い始めているので働くしかない。ただ、いざ働くといっても半年ブランクがあるとどうしたらいいのかさっぱりわからない。まあまずは働こうという気持ちを奮い立たせたい。

面白くても面白くなくても読んでもらえても読んでもらえなくても、ちゃんと書き続けていきたいなと思う。続けたら何か意味があるかもしれないし。焼肉とお寿司食べたいなー!以上。

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