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【BL連載】これがあるからやめられない05

   城慧一・3

 取材依頼の一件から一週間、轍と顔を合わせると空気はどこか硬くなった。
 だんだんオレが勝手に拗ねているような錯覚に陥ったけれど、轍の態度を受け入れているわけではないということをどうにか伝えたかった。事実、せっかくの取材がおじゃんになって落ち込んでいた。
 取材依頼はオープンした時から徐々に増えていた。雑誌やテレビでの取り上げだけではなく、近所の小学校や専門学校からも問い合わせが来る。一度、どうしていくか話す時間が必要だった。
 店内の清掃をしていると、買い出しから轍が帰ってくる。
「これ、食べてみてくれ」
 轍にいきなり渡されたのはパックに入ったぶどうだった。オレは言われた通り、一粒とって、大きな丸い実を口に放りこむ。果肉を噛むとみずみずしい果汁があふれた。しかし。
「……ちょっとうすいな」
 別の房からも一粒頂戴する。水分は申し分ない。しかし、果汁は甘味も酸味もほとんどなく水を吸っているかのようだった。
 轍は嘆いて広い肩を落とす。
「畑山さんの農園のぶどうはこの調子らしい。今年はどこも甘味が足りない」
 轍の次の言葉は、容易に想像できた。
「……俺は、今年は外そうと思ってる」
 だろうな。口の中の種を吐き出しながら、オレは納得する。
 取材を断ることも、季節のメニューでもめることも、どちらも今までに何度かあった。けれど、重なったいま、別の出来事として扱おうとしても無意識にひっぱってしまう。
「代案は?」
 つい刺々しい声が出てしまった。
 轍は広い背中を丸めて、使いものにならないぶどうを見つめている。
「少し早いけれどリンゴを出すか、イチジクを残すか。ミックスは通年のキウイと黄桃に戻す」
 オレの頭に去年の売り上げグラフが浮かんだ。先週までの夏サンドのグラフも。
 売り上げだけが全てではない。けれど、それは時に客の落胆の結果でもある。落胆すれば足は遠のく。その連鎖は避けたい。
「……頼む」
「わかってるよ。轍の感覚は信じてる」
 轍の腕を疑う気持ちは微塵もない。高校生の頃から、ずっと。
 オレの問題なのかもしれない。轍のうまいフルーツサンドの魅力を全て伝えることができるのか。いつものサンドと違うとか、いつものメニューがないとか、表面的な問題をクリアしながら伝え続けられるだろうか。
 一度、初心に戻ればいい。
 そう浮かんだ瞬間、空を見上げた時のように心がふっと軽くなる。
 最初に轍のフルーツサンドをうまいと叫んだ時のように。これを知らないなんて人生損してると、配り歩きたかった時のように。
「……轍がつくってみたいサンド、つくってよ」
 オレは轍を見上げることができなかった。轍はオレのことを見つめていたと思うけど。
「俺はそれを信じて売るから」
 意地の悪いことを言ったと思う。
 コーヒーを飲みながら、今後を考える。秋はハロウィンの他に、店のアニバーサリーでキャンペーンをしよう。冬はクリスマスやバレンタインがある。いつもの冬サンド以外にスペシャルメニューを入れよう。ホットドリンクの充実も加える。冬はどうしても伸び悩む。
 キッチンからは轍が調理するかすかな音が聞こえてきた。
 そっと振り返る。ロールカーテンが上がって、白い調理師姿の轍が見えた。
「慧一」
 スタッフルームからキッチンに入って、真ん中に置かれたフルーツサンドを見つめた。ミックスだが、フルーツは全く違う。ラフランスを中心にした、言うなれば秋冬のミックス。
 皿から一切れ掴み、口に運ぶ。
 轍は顎を引いてオレを見ていた。
 高校時代の轍の横顔が脳裏に過ぎる。公園、フルーツサンドをオレに渡して言葉を待っている緊張した唇。
 変わらない。あの時から、オレは轍のサンドにベタ惚れなんだ。

(続)

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