【BL連載】雨だれに傘を差す11

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「どうして、よりによって白さんなんだよ」
 くそっ、と木村が地面を蹴った。
 情けない顔が上がる。智理と瞳が合うと、木村はふてくされたように肩を小さく落とした。
「悪い」
 大人げない所作を謝り、木村はまた大きく息を吐く。
「安心した。既読ついたのに返信ないから、また倒れてるかと思った」
 どう返したらいいかわからないまま智理の家に宮が来訪して、メッセージを放置してしまっていた。
 この間のこともあるから、木村は慌ててやってきたのだろう。現に毎日『帰宅』する時間より随分早い。智理は素直に申し訳なく思った。
「……ごめん」
「よかったよ、とりあえず」
 木村は首を左右に振る。どこか余裕がなくて、子どもっぽい。
 智理には見せない顔。宮は、この顔を知っていたのだろうか。そう考えると、羨ましくて、そして憎らしい。

「宮さんと、知り合いだったんだ」
「小学校の頃からな。近くに住んでたお兄ちゃんってやつで、学生の時は家庭教師もしてくれてた」
 ああもう、と木村は頭を掻く。眩しい瞳はなりを潜め、睫毛が目元に影を落としていた。
「……白さんは、なんでも持ってた。オレが持ってないもの、オレができないこと、全部」
 吐露された木村の心情が、智理が抱くものと重なる。
 驚いた。智理が木村を輝かしく、疎ましいと思っていたように、おそらく木村も宮に同じものを抱いている。自分が持たないものを持っている人に、憧れと嫉妬を抱く。それを自分も手にしたいと、腕をのばす。
 智理は伏せられた木村の瞳を見上げた。
 いつも木村がするようにまっすぐ見つめると、木村は怯んで身じろいだ。
 ああ、そこに雨が降っている。
「木村のできないことって?」
「え?」
 智理が問うと、木村は戸惑って瞬いた。口ごもり、頬が膨れる。
 あんなに人との距離を詰めてきて、そのくせ生真面目に接してきて、あれだけ智理の心を揺らして、解かして、包んで――
「あー、白さんはさ、世の中の『当たり前(ふつう)』を全部持ってるんだ。オレは……」
 傘を差さねば、と智理は思う。
 木村が自分に傘を手渡してくれたように、智理も木村に傘を掲げたい。
 まだ雨はやまないにしても、そうすればきっと濡れて凍えることはない。
 差し出された手に、傘に、智理が何を見たのか知ってほしい。

「俺も、自分ができないことばっか見せられて、眩しくて、羨ましくて、妬ましくて」
 智理の綴る声に、木村が瞳を上げた。そこにあるのは、以前見た期待と、欲だ。
 智理の喉の奥で、言葉が引っかかる。頬が火照る。
「それで……好きだな、と思った」
 反応が怖くて、智理はすぐに下を向いた。
 木村が息をのむのがわかる。
 いつか唇が触れ合う距離で誘った時より、ずっとずっと恥ずかしい。
「智理さん」
「俺が好きになれない俺のことを、好きだって言ってくれて。俺も、好きじゃなかった俺のことを、また好きになれるかもなって思えた」
 智理は意を決して正面から見つめる。
 どこか泣きそうな顔の木村がいて、手をのばしたくなった。
「雨はやむんだろ。それに、傘がある。そう言ったのはお前じゃん」
「オレは……」
 木村の掠れた声が、さらに濁る。
 智理はそれでも構わなかった。
「俺は、好きだよ」
 一歩、前へ出る。近くなった木村の顔を、智理は覗きこんだ。
「傘を渡してくれた木村のこと」
 単なるからかいではなく、その手に触れてほしいと、その頬に触れたいと思う。
 一緒に夕飯を食べて、生活をしたいと思う。

 口を噤んだ木村に、智理は倉庫の入り口に置かれた傘を手に取った。木村がここへ来た時に差してきたものだ。玄関の傘立てから掴んできたのだろう。
 開くと、多い骨が格子のように天を区切る。この限られた部屋の中から、あの日の夕日を見ている。
 ここにいてもいいと、言っている。
「ほら、帰ろう」
 少し高く傘を掲げると、木村は黙ってその中に入った。
 小雨の降る庭を、肩を寄せて家へと戻る。
 言葉にしなくてもいいと智理は思う。今からでも買ってきた食材で夕飯をつくって、ビールを飲もう。そうすれば、少しは木村の顔に笑みが戻るだろう。それで充分だ。
 だけど、木村が頷くなら、もっと近くにいきたい。今の距離よりも、もっと近くに。

 池の橋を渡った辺りで、木村の少し冷たい手が、智理の手を握った。
「智理さん」
 智理が見上げると、木村がはにかむ。困ったように下がる眉で、口元を綻ばせる。
「好きなんだ」
「うん、知ってる」
 智理の返答に、木村は喉を鳴らして笑った。ああ、言ってよかったと智理は安堵する。
 木村が背を屈めたと思うと、鼻と鼻をかすめて、唇が触れた。
 幸福が胸に灯る。
 優しく重なる熱に、智理は木村の手を解いて、今度は指と指を絡めた。

(続)

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