【BL連載】雨だれに傘を差す04
04
木村が智理にそうする根元に何があるのか、わからないわけではない。直接的な言葉にはしないが、視線に、口元に、手に、所作の全てに心は滲んでいる。
紳士的で友達然と接するその奥に、似つかわしくない色を見る。
智理は自分の容姿について認識はしている。線が細く、女性から「美人」とよく言われた。そして、一部の同性愛者から好まれることも、この何年かでよくわかっていた。
自分が羨望する相手が自分に好意を抱いていると思うと、智理は優越感をおぼえる。後ろ頭の寝ぐせをいつ指摘してやろうという悪戯心に似ている。何て言えば恥ずかしがるだろうかと底意地悪く考えた。
主導権を握っている。相手ではなく、自分が。それが今までにない興奮を抱く一因だった。
「木村は、さ」
「うん?」
終わった食器を片づけて麦茶を啜る木村に、智理は立ち上がる。ちゃぶ台の縁を、大きな目で見上げてくる木村の方へと回りこむ。
智理は木村の目の前まで歩むと、膝頭がぶつかるほどの距離でしゃがみこんだ。
視線が合う。驚いた木村の瞳の奥に、ささやかな期待と欲が見え隠れして智理は唇を持ち上げた。
「俺のこと、好きでしょ」
数秒、時間が止まる。木村は智理から視線を外さぬまま、瞬きも身動ぎもしない。不思議と智理の方が、心臓が強く打っているように感じた。呼吸に合わせて体がゆるく上下することにすら緊張が走る。
「うん、そうだよ」
木村が眦を下げ、生娘のように恥じらい笑った。
その返答に、智理は勝利の鐘を聞く。
自身の頬を掻く木村の指に、智理は指を絡めた。傲慢を腹の中に留めて、木村の手を自分の頬へ導く。
「なら、さ」
木村の手が、指が熱い。智理はわずかに体重をかけて、しっとりした手のひらに頬を押しつける。
苦笑する木村に、艶やかな瞳を向けた。
「抱いてみる? 俺のこと」
直接的な誘いに、木村は笑みを消した。こういう時にごまかし笑いをしないのが、木村の生真面目さの表れだ。
当惑して開いた唇に吸い寄せられるように、智理は木村との距離を詰める。
頬に当てた手は硬直し、撫でる素振りも見せない。
「ね」
唇が触れ合う距離で催促すると、頬に当てていた木村の手がするりと逃げた。それが首や背中に移ることを期待したが、一向にその気配はなく、智理は木村を見上げる。
木村は片手を後ろについて体を離し、眉を下げた。
「それが智理さんの望みならそうしたいけど、オレはもうちょっと絆してからがいいなあ、なんて」
ダメ? と、木村が笑う。
――なんだ、それ。
智理は声に出さぬまま、呆けた。
まるで、智理の方が恋焦がれるようで、赤っ恥をかいた気分だ。
どこかで、瑞行と重なる。
? 何が……?
きょとんとしていたのだろう。木村は頬を綻ばせたまま、落ち着かせるように智理の頬を撫でた。
幸せそうな顔をして、固い指で、薄い頬の皮膚を擦る。
『智理』
それが、『先生』の仕草を思い出させた。
口づけもセックスもしない瑞行の、愛情表現の一つだった。愛しているという言葉そのものだった。
木村の瞳とまっすぐに視線が合うと、智理の胸の奥がざわつく。
去来した感情の名前を知っている。
――罪悪感だ。
誰に? どうして? そんなの、すぐわかる。
泣くつもりはないのに、智理は顔の筋肉がおかしく歪んだ。
「智理さん?」
変化に、木村は頬を撫でるのを止めた。静止した指から体温がじわりと伝わる。
先生と同じことをして。
先生を上書きして。
先生を思い出させないで。
――違う。先生じゃない。目の前にいるのは。
智理は木村の手から離れるように、後ろへ退く。
「悪い、忘れて」
ぶっきらぼうに呟いて、智理は台所に駆けこんだ。
触れられた頬が熱を持つ。それが体の芯に伝わって、シンクの縁を握る手がふるえた。
まともに木村の顔が見られない。
確かに木村を『先生』と重ねた。けれど、絶対に同一視したくないと瞬時に反発をおぼえた。
――何を望んでるんだろう、俺は。
勝手口から外へ出ると、雨が降り続いている。しばらく佇んだまま、夜の闇を見つめていた。
どれくらい時間が経ったのか、木村が台所にひょっこり顔を出した。木村は変わらず朗らかに「もう帰るよ」とグラスを片づけ始める。
智理は手伝っている間も、うまく顔を見ることができなかった。
「またな」
昨日までと同じ挨拶で、木村は傘を手に帰っていく。
静寂に水音が響く。一人で住むには、広すぎる家だ。
(続)
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