【BL連載】いつかの記憶、いつかの未来05

   国吉轍・3

「こんにちは、フルーツサンドいただきました!」
 突然、スタッフルームから聞こえた声に、俺と濱くんの体が跳ねる。完全なる不意打ちだ。
 振り返ると、日々果の紙袋を掲げた歩がガラス越しに調理場を覗いて笑っていた。
 濱くんに一時作業を任せ、俺はスタッフルームの歩の元へ進む。
 ちらりと裏口を見ると、見慣れないキャリーケースが置かれていた。大阪に帰るのだろう。
 どうやら、あれから両親に結婚することは報告したようだ。両親が関西へ行くのか、相手が東京に来るのかは知らないが、夏に一度会うことになったという。そう連絡がきてから、ますます寂しさが募る。もう、後ろをついてきたあの小さな歩ではない。
「お土産に買っていくね」
「ああ、ありがとう」
 ちゃんと『ありがとう』と伝える機会があまりないからか、歩は「ふへへ」と変な声を上げてはにかんだ。
「お兄ちゃん、結婚式の日程決まったら、空けてくれる?」
「もちろん」
「あとフルーツサンドも差し入れてくれる?」
「当たり前だろう」
 即答してから、それは自分がつくったと告白する行為なのではないかと気が付いた。頭が認識して、遅れて心拍数が上がりだす。披露宴で並ぶ、引き出物と一緒に来客の手に渡る、その風景を想像してじわりと汗が滲んだ。
 だが、快く引き受けたことを撤回しようとは思わなかった。先々、後悔するかもしれない。心配で眠れなくなるかもしれない。それでも、俺は約束を反故にはしない。その決意だけはあった。
「お父さんたちのこと、何かあったら言ってね」
「ああ」
 お邪魔しました、と歩はキャリーケースを引き、出ていく。
 それは知らない女性のようで、俺は濱くんのいる調理場へ戻る前に、わずかにはなを啜った。

 閉店してから食材の注文をしようとパソコンを開くと、向かいに座った慧一が顔を上げる。
「この前のインタビュー、原稿あがってきてる」
 プリンターが起動して用紙を吐き出す。俺が印刷されたものを好むと知っていて、慧一はいつも先に用意してくれた。
 確認すると、日々果の外観や一番人気のフルーツサンドの写真と一緒に、俺が送った回答が載っていた。大きめのフォントと柔らかい色合いは、優しい印象を与える。
『おいしい を日々かんがえ続けること』
 こだわりを意識した言葉選びが功を奏したのか、見出しには俺の回答内のフレーズが使われていた。
 このインタビューに答えたのは俺だ。それなのに、文体やライターの切り口で、国吉轍という人間には見えない。俺でありながら、俺ではない誰かが日々果を語っている。そうしたフィルターをつくると、日頃抱いている罪悪感や怯えは薄らいでいく。
 我ながら難儀だと思う。
 だが、それを言い訳に表を任せるわけにはいかない。
 それは手を尽くした後に、考えればいい。みっともなくても、自分ができると思ったことを進めて後に。

   ***

「あっちぃ~クーラー~」
 相変わらず帰宅時の熱気に汗が流れる。
 ダイニングへ足早に向かう慧一を確認し、俺はポストから取り出した郵便物を物色し始める。ほとんどがチラシだが、そのチラシも馬鹿にできない。デザインやアイデアの宝庫とも言える。
「ビール! 冷えた! ビール!」
 野球の掛け声のようにリズムよく叫ぶ慧一にふきだしたところで、手の中のスマホが揺れた。
 なんだ、と通知を見る。メールが届いていた。
「同窓会、無事に終わったみたいだ」
 プシュ、と缶ビールのプルタブを引き上げた慧一が振り返る。
 ほら、とスマホの画面を見せると、慧一は黙ってそれを覗きこんだ。
 欠席の連絡をした俺にも、幹事は律儀に同窓会の写真を送ってきていた。どこかのレストランバーらしき背景に、十数人の男女が並んでいる。二十代後半の大人が、学生のようなはしゃぎようでポーズを決めていた。
「いい年した大人になってるなあ、漏れなく」
「あったら困るだろう」
 不思議なもので、外見や表情でクラスの誰だかわかることが多かった。小学校の時は運動神経がよかった男子が、眼鏡をかけて大人しく微笑んでいる。ショートヘアだった女子が髪を伸ばして飾っている。
「わかるもんだな、もう十五年は経つのに」
「よく憶えてるな。オレ、小学校の同級生なんて三人くらいしかわかんないけど」
 写真の右隅で手を広げている二人の女性を見て、それがサイ子とひなちゃんであることがすぐにわかった。少しつり目の方がサイ子で、口の大きな方がひなちゃんだ。二人とも、鮮やかな色のワンピースを着ている。
 顔を寄せて写っている姿を見ると、何故か我が事のように嬉しかった。
「慧一」
「んー?」
 缶に直接口をつけてビールを飲みながら、慧一は白米を茶碗によそっていた。タイミングよくレンジが高く鳴る。
 慧一は、あちち、とレンジで温めた惣菜をテーブルに置くと、指先をブラブラと振った。
「なんだよ」
 神妙にしている俺に、慧一の眉間が怪訝そうに寄る。
「いや、これからもよろしく頼む」
 俺は緊張しながら、ゆっくりと頭を下げた。俺がしたくてしているとはいえ、改めて畏まると妙に照れくさい。
 歩と食事へ行った日から、慧一が怒っていることは伝わったきていた。周りにその苛立ちを向けることはなかったが、一緒に日々果に向かう時、閉店後の清掃時、歯磨きをしている時、ふとした瞬間に表情が曇る。
 俺が話した小学生の頃の記憶でそうなったことも、わかっていた。俺は傷ついていたのかもしれない、と零したことを、きっと慧一は怒ってくれたんだろうと。
 正直、ひなちゃんとサイ子に対して俺に怒っていない。思い返せば、その言葉が発端だったとわかり、納得したくらいだ。二人に、というより、その事実に、悲しさを感じはするが、もう引き戻すことができないほど昔のことだ。前へ進むしかない。
 しかし、それとは別のところで、慧一が怒ってくれたことは、嬉しかった。そうして、すぐ傍にいてくれることが。共有した事柄で感情を発してくれることが、何より。
「はあ、あのな、今さら何だよ、何かあったか?」
 と、慧一は驚き呆れるものだと想像していた。それが、いつもの照れ隠しだ。
 頭を上げると、慧一は怪訝そうな瞳もしていなければ、軽口を叩きもしなかった。
 唇を引き結んで、俯いて目を逸らしている。
「……はい」
 抑揚のない短い返事が戻ってくる。
 こちらが恥ずかしくなるほど狼狽えているのは、もう何年も見たことがなかった。
 一体、慧一のどこに引っかかったのだろう、と俺が思いあぐねているうちに、慧一はテーブルを完璧にセットして、ぐいとビールを煽った。
「メシ食お!」
「あ、ああ」
 手を合わせる。
 ルーティーンでテレビのスイッチをつける。
 毎日のこと。
 その「はい」は平たく押し潰された二音でしかなかったが、この日々がこれからも続いていくことを許した二音だった。

(続)

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