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溜飲を下げる~原爆被害者が背負い続けた“後ろめたさ”

アメリカは日本の非戦闘員を狙った原爆投下を正当化しています。国際法上、一番重い戦争犯罪が『非戦闘員を殺害する事』であるにも関わらずです。

米政府曰く「原爆は戦争を終結させた」・・・え?
戦争の『終結を恣意的に遅らせた』のはアメリカですよね。

● ドイツの教科書『本当の日本の歴史』より「原爆投下」について 
  ~~~  
「当時の時間の経過を詳しく調べるとアメリカ側の公式の説明には疑問がある。
投下以前に米ソとも
【日本の求めた降伏のための接触を無視した】 のである。
したがってこの(原爆)投下はまったく無意味な手段であった。
その目的はただ“新兵器の威力の実験と、他国への示威の為” であった」(「日本」1970) 
  ~~~(ココ迄、西ドイツの教科書引用)

┃そもそも戦争を始めたのも、アメリカ

それ以前から日中戦争を仕掛けたのもアメリカです。
↓画像クリックで、動画が開きます。

以上の一連の史実に対する米大統領の意味不明な主張~
(・。・;? ↓

プーチンさんは真逆の視点です。

さてこの戦犯国の当時の大統領トルーマンは、アメリカが挑発し追い込んだ日本に対し、最後に原爆を投下した事を自国民に満面の笑みで報告しました。

アメリカの “後ろめたさ” は皆無です。

┃被害者・日本の庶民が背負い続けた “後ろめたさ”

逆に『被害者日本人(非戦闘員)』の方は、“後ろめたさ” をズッシリ背負って生きてきました。
当時は被爆者に対する風評被害が酷かったそうです。
「黒い雨を浴びた女とは結婚するな」等…。

これについて一番身近な私の母について書きます。
母は広島で生まれ育ち、十代で原爆を体験しました。
母は晩婚で、姉と私の二人を産み育ててくれましたが、ずっと病弱で気管支の障害がありました。
癌で亡くなる少し前に小さな声でこう呟きました「これは生まれつきの持病じゃない」。
原爆投下後から症状が出始めたようです。

母は、大学進学と同時に東京に移り住みました。
生涯『被爆の負い目』を背負い、それをひた隠す為に
言葉も広島弁を母から聞いた事がないのです。
勿論、被爆者手帳を拒否し、国から保障も受けていません。
同じ状況で被爆し、同じ症状がある兄弟は受けているのに…。
母のような人は結構いるようです。
風評被害を恐れ、結婚後も被爆者であることを家族にも隠し続ける人。或いはまた、次のように語る被爆者もいます
「原爆がなければ結婚できていたかもしれない。戦争よりも被爆による精神的負い目が大きかった。

罪なき『被害者』側が、生涯『負い目』を感じ、
死ぬ迄十字架を背負って、誰にも相談出来ずに生きた。

母は、娘の結婚にも差し障る、縁談も遠のくと心配し、
ずっと自分の胸におさめ込み、孤独に『後ろめたさ』を抱えて生きていたんだとずっと後になって知りました。
被害者なのに「家族に申し訳ない」と、罪悪感を抱いて生きたのでした。

子供の頃の私は、いつも病弱で寝込む母の姿を見て「呼吸しているかな?」とハラハラする毎日でした。
病気以上に『精神的な負い目』が大きかったんだろうなと
気づいた時は、遅かったです…。
生きていた時に母の心の奥底まで深く理解し、慰めたかった。それが出来ないまま亡くなってしまい、悔やまれて涙がこぼれます。あの世に行ったら謝って、抱きしめたい。

日本歴史には解放されていない溜飲がいまだ残されています。日本歴史の溜飲を下げるには東京裁判史観を正さなければなりません。
広島、長崎や、全国の大空襲の犠牲者の想いを慰め、心の奥底まで解放することで溜飲を下げ
日本の名誉を挽回しなければ!

一方反省の無いアメリカ様は原爆投下後、更なる苦しみを日本の少女達に与えていたという証言もあります。

出アメリカしましょう!



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