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15年間いた奨励会を退会しました。僕の将棋人生の感想戦です。

2024年2月3日の三段リーグの結果にて、勝ち越し延長の可能性が消え奨励会退会となりました。

日本将棋連盟の奨励会は、将棋のプロ棋士を目指す若者たちが訓練し、技術を磨くための組織です。奨励会のメンバーは厳しい選考を経て入会し、定期的に開催されるランキング戦に参加しながら、プロ棋士になるための段階を一つ一つ登っていきます。

奨励会は三段から6級までで構成されており、二段までは東西にわかれて行い、規定の成績を上げると昇級・昇段となります。三段になると東西をあわせてのリーグ戦を半年単位で行い、上位二名が四段に昇段し、正式に棋士となります。
https://www.shogi.or.jp/match/shoreikai/ より。

奨励会は将棋を学び、上達したいと願う若者たちにとって非常に価値のある場所であり、将棋界の未来を担う才能を育成するための重要な役割を果たしています。プロになることは非常に難しく、多くの時間、努力、そして献身を要しますが、奨励会はその夢を実現するための第一歩となります。

僕は、この三段リーグで勝ち進むことができず、奨励会規定の年齢制限により、ここで退会となりました。現在、28歳になります。年齢制限の延長規定を経て、ここまで在籍することができました。

残り三段リーグは四局ありますが、そこの対局は参加できるので、参加し、精一杯対局はさせていただこうと思っています。

まだあまり実感がありませんが、今迄の将棋人生の感想戦をして、気持ちを整理をして、次の人生の1局を始めようと思います。多少記憶違いがあるかもしれません。

まずは15年に及ぶ奨励会生活を振り返る前に、将棋にハマるきっかけから振り返ろうと思います。

私は福岡県福岡市で育ちました。

将棋のルールを覚えたのは 小学二年生の時に姉から教わりました。
対局相手は父親が主で、小学校に行く前に指すキャッチボールのような感覚で遊んで貰いました。
のめり込むきっかけとなったのは小学5年生の時に不登校になりまして、その時に学校に行かない間何をしようかということで何となく好きだった将棋をやろうと思ったことが始まりです。

家の近くに、中田師匠が師範である六本松道場がありましてそこに行ってみよう!と、ドアを叩きました。
道場には年齢平均60overの人生の先輩たちがおり、その方達が自分の新しい友達となりました。
とても皆さん優しくてくれまして、毎日道場にいっては朝から晩まで将棋を教わり食事はおじいさん達にラーメンやお好み焼き屋さんに連れっていって頂き楽しい毎日でした。
将棋大会にも出てみたくなりまして、地元の色んな大会にもでてみました。そしたら同年代の新しい友達も将棋を通じて出来ました。

段々と棋力も上がりまして、何となくプロになりたいなと考え、
無礼な事に道場の上の階に中田師匠が住んでいる事を知り、無謀にも階段を登りドアをこんにちはと、どんどんと叩き始めました。
眠そうな中田師匠が出てきて、相手をしてくれました。その日から、ラブコールは止まらず師匠の誕生日に似顔絵書いたり、カードゲームをプレゼントしたり(真剣に遊んでくれました)して、師匠になって貰いました。
将棋を教わるとなると師匠はとても真剣で、凄く怖くてブルブルしました。プロの厳しさを教えようとしたのだと思います。カッコ良すぎてますます惚れました。

次の出会いは 関口先生です。三段リーグを戦い抜いた後に北九州にこられて九棋会という道場で指導をされており、そこで将棋の技術を教わりました。勉強もありましたが、そこも居心地が良く新しい人との出会いもあり仲良くさせて頂きました。九棋会にいくのも楽しみになりました。
段々と実力もあがり、小学六年生の時に奨励会を受験をしましたが、弱すぎて残念ながら落ちてしまいました。
中学生は、将棋を通じて知り合ったお兄さん達が将棋部をやっておりましてお誘いもあり、泰星中学校に通いました。とても幸せな学生生活であり、将棋部の合宿などはOBの方々も来られ、とても可愛がられて幸せでした。中学一年生の時に奨励会を二度目の受験をして、合格しました。

そこから福岡から大阪に通う生活となり、親にはとても感謝しきれません。弟弟子の古賀君とはその頃に福岡の道場で出会いました。
一目見た時から強いのは直感的にわかり、警戒をし始めたのですが、何故か懐かれてしまいここから長い付き合いとなりました。天才の彼に出会えて今思うととても幸せだったなぁと思います。彼の語る将棋の読み筋はどの音楽を聴くよりも心地よかったのです。
奨励会は、遠征者組は対局の前日に関西将棋会館の和室に泊まりまして、前日夜遅くまで、将棋指したり、銭湯にみんなで行ってアイス帰りに食べながら将棋の話をしたり学校の話をしたり恋愛の話をしたりと一つの青春の時間もありました。肝心な奨励会の対局はアマチュアの時と全然違いとても厳しく自分は大した事がなかった事が身に染みながら時には頭を坊主頭にしたりなどもがいておりました。

高校は西南高校という所を受験し入学しました、将棋に理解があり楽しく過ごせました。将棋が流行った時もあって、常に自分のロッカーには将棋盤が5.6面は置いてる感じであり、休みの時間には将棋道場化していて異様な光景ですが、幸せな時間でありました笑
高校の頃に豊川先生が福岡に来られて銭湯に連れっていって貰ったり将棋を教わったり、カッコいい漢を学びました。
奨励会の方は初段になって高校を卒業した後は将棋一本にしようと考え、大阪で一人暮らしを始めました。

大阪の一人暮らしは最初は不安でしたが、棋士室に通うと皆さんによくして貰い 強い先輩達にも挑戦する気持ちがあれば指して頂き充実した毎日が始まりました。新しい刺激を貰いに中川慧梧さんがいたハイレベルな立命館将棋部に道場破りにいったり学食を食べたりと楽しい経験もありました。

しかし奨励会の成績は中々振るわず、初段から二段に上がる一番を何回も負けたりして、とても辛い時期でした。何度も退会を考えましたが、泣きながら豊川先生に電話して、励まして貰ってご飯に連れて行ってもらったりと、とても精神的に助けられました。この熱い豊川先生の伝説の記録月20回とったという実績を超えたくなって関西だけでは飽き足らず東京に記録係を取りにいったりしておりました。残念ながら越えれませんでした笑 

東京の記録係はとても楽しく同年代の子達と夜遅くまで記録をとった後にそのまま朝まで将棋したり話したりと、これまた青春でした。東京でも豊川先生に銭湯に良く連れて行ってもらい、高円寺の銭湯は気持ち良かったなぁ。
この頃に服部先生にも出会いました。級位者の彼と初めて指した時負けてとても警戒しましたが、何故か懐かれてしまい、ここもまた長い付き合いになります。彼の将棋の読み筋は少し刺激的で古賀君と服部君が読み筋ぶつけ合うとセッションとなり何時間でも聴けました。この天才に出会えたのも幸せでした。

彼とは何故か熱い勝負を良くふっかけられてひょんな所からランニング勝負が始まりました。
また明日ね、となった時彼から朝7時から10キロやりましょうと言われ気合いで勝負や!と言ってから毎日勝負が始まりました。
私はヒーヒー言いながら走ってるのに対して彼は昨日の対局見ました?ここでこう指したらと爽やかな顔でいわれ、物が違うなぁと思いながら楽しい朝の青春となりました。ちょっとして当時奨励会の井田先生も参加して井田君はヒーヒー走っており、私と同じくらいの実力だったので、いいライバルが出来たと喜びました。2-3年続くとは思わなかったなあ。

根性が着いたお陰か22歳の時に二段になりました。
朝ランニングは形を変えて 朝七時から山崎先生と服部君と詰将棋の早解き勝負をしたり、気合いだと言って古賀君と服部君とマクドナルドで5時くらいから詰将棋といたりととにかく気合い いつの間にか服部君の気合いの明るい性格に影響されておりまして、やっぱりいい出会いだったなぁしみじみ感じます。
研究会もいくつかやっており空いた日は記録係とったり、気分転換に京都などに仲間と遊びに行ったりと充実しておりました。

しかし勝負弱さもありまた二段にて、なかなか上がる目を作っては潰して辛い時期となりました。年齢制限が26歳で、25歳の一月に降段点がつき人生に絶望しましたが、開き直ってそこから9連勝して昇段しました。

三段リーグに入ってからは 一人で研究も大事だが、自分にはやはり実践が大事なのではと考え、研究会の量を増やそうと考えて関西先生達に振られる覚悟でお願いしまくり、月20日入れて挑戦しました。

稲葉先生と朝練で将棋でぶつかり稽古したり、糸谷先生にもVSしてもらったり、一番教わったのは山崎先生で夜も朝もガチンコ勝負したのはとても痺れました。兄弟子の佐藤天彦先生にはネットで教わり 環境的には最高だったと思います。他にも書ききれないたくさんの先生のお世話になりました。

三段リーグはどうしても心の弱さと終盤の弱さもあり中々勝ちきれない辛い時期でありましたが、関西の先生達はそんな私とぶつかり稽古を続けてくれました。
三段リーグの戦ってる仲間とも相手でもあり実力高め合う仲でもありと、無我夢中でさしました。
今期の三段リーグは勝ち越さないと退会であり、日々とても苦しい気持ちはありました。
結果は中々好転せず 2月3日を持って退会となりました。対局終わった直後は特に何も感じず感想戦をしたのですが、家に帰ってからは 気持ちが溢れお世話になった先輩達に報告の電話をしました。その電話をしている中で少し心も落ち着いて、こんなに沢山の人に恵まれたのかと実感が湧いてきて感謝の気持ちしかありません。

奨励会生活、将棋人生を振り返ると人に恵まれたのかと思っております。
そこの才能、運は良かったのかなと思っております。

将棋という世界に飛び込んで20年余り長い間自分は恵まれました。福岡の将棋界は生まれ故郷であり、
大阪に進出してからの修行時代が10年、お世話になった関西の将棋会館は自分にとって第二の家であり、皆さんは叱ったり、褒められたりと、様々な人間的な経験をさせてくれて、私を成長させて頂いた親でもあると思っております。

このnoteに書ききれていない、たくさんの方々の支えがあり、僕は長い間、頑張ることができました。感謝してもしきれません。みなさん、本当に、ありがとうございました。

これからの人生は将棋に育てられたので恩返しが出来たらとも思いつつまだまだ将棋とも向き合って成長させて頂いたいと、まだまだ我儘な気持ちもあります。
また、将棋以外の色んな世界を見たい気持ちもあります。

人生はやっぱり気合いだ。

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