コテンラジオ、ケマルアタテュルク編感想~民主制と独裁制の間~

聞き終えました。いやー濃厚だった。面白かった。

背水の陣での肝の座り方、リスクの取り方は織田信長を彷彿とさせるし、しかもそれに卓越した戦略眼があって、しかもあのタイミングでの成り上がり。そら英雄になりますわ。

自身のイデオロギーを目的にために封印できるというのもリーダーとしての重要な素質だなと思った。リーダーって特定のイデオロギーを持ってない方がうまく行くんじゃないかという仮説がずっとあったんだけど、それを補強された感じがする。

さて少し長めに筆を取ったのは、民主制(というか合議制)と独裁制ってどういう場面でどっちが良いのかという疑問について少し文章に残しておきたい、と思ったからだ。前回の民主主義編からの続きで一つの仮説に辿り着いたのでそれを書く。

結論から言う。きわめて単純化すると、

リスク回避して失敗を避けることが重要な場面では民主制・合議制がよく、リスクを取って成功することが重要な場面では独裁制が良いのではないか。

ケマルが活躍した時代、第1次大戦敗戦~国造りの初期では彼が英雄になって独裁者でなければ絶対無理だっただろう。

一方、成熟した国家においては、それを安定運用することが求められるので当然民主的な合議プロセスの方が重要になる。

特に、現代先進国のように、国民の経済力が上がって一人一人の既得権益が肥大化し、「自由」が強く求められる状況だと一人一人が主権を持つ民主主義を敷いていくのが幸福の最大化が図られるという事になるのであろう。

民主主義があるから自由と平和が獲得できるのではなく、自由と平和があるから民主主義が出来る、という方が現実に合ってるのではないか、という気がしている。

でも民主主義下においても例えば企業統治なんかは独裁制で十分だったりする。これは結局背負っているものの大きさの違いだろう。国家は人々の生命に影響を与えるが企業の営利活動は別にそうじゃないし、踏み外したことをしてもそれは国家による法律で取り締まられる。独裁的といってもそれが及ぶ範囲が限定的なので、むしろガンガンリスク取って儲けてもらった方が理にかなってるのだ。

同じようなことが文民統制下の自衛隊なんかにも言えるだろう。大きな方針を間違えないために上位組織として民主主義国家があり、軍隊はあたえられた任務の範囲で成功を目指し厳格な上意下達で動いているという構造。

日本オリエンテーリング協会は目立ったリーダーがなく合議制で決めてるけど、全日本大会の危機の時はプロデューサー制を導入して局所限定的に独裁制を認めた、みたいな話である。

ケマルの晩年は明らかに独裁制をそのまま引きずった弊害が出てきてしまった。やはり国家という大きくて重すぎるものを背負った独裁はいつまでも続けてはいけないのだな、ということを改めて感じた次第である。


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