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心配性をこじらせまして・・・

「結婚=実家から逃げる手段」という図式ができあがり、「結婚は不自由で窮屈」という思いから、結婚しないという結論に至ったことを以前のnoteに書きました。結婚するしないよりも、わたし自身は性格的に結婚には向いていないと思っている。それは自分でもちょっと笑ってしまうくらい、とてもとても心配性だから。

子供の頃はこんなことがあった。
小学生だった弟の帰宅が遅い。門限を過ぎても、日が暮れても帰ってこない。さすがに、こんなに暗くなっても帰ってこないなんておかしい。折しも当時は子供を狙った事件が世間を騒がせていた。発生した地域はまったく遠かったけれども、あの事件の犯人が逃亡してこの近くにきているのかもしれないと思ったら、もう止まらなかった。自転車に乗って弟を探しに出かける。泣きながら自転車をかっ飛ばす。弟に万が一のことがあったらどうしよう…。公園、小学校グラウンド、本屋、駄菓子屋など弟が立ち寄りそうなところを周る。1時間ほど街中を自転車で駆け回ったけれど、見つからない…。今頃家に帰っているだろう、そうあってほしいという期待を込めて、家に帰ると、弟はご飯を食べていた。母にめちゃくちゃ怒られながら。

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こんなこともあった。実家に久しぶりに帰ったときのこと。母が突然いなくなった。出かけるときには必ず声をかけるのに、何も言わずに消えた。近所の人と立ち話でもしているのかと思って、近くを探すがいない。自転車はある。ちょっと外に出たすきに、さらわれたのだろうか?でも、何の目的で?いやいや、世の中には物好きもいるから、ないとはいえない。お母さん、このまま帰ってこなかったらどうしよう…。半泣きで家のなかをウロウロするわたし。すると「ただいま〜」何食わぬ顔で母が帰ってきた。ご近所さん家でおしゃべりしていたらしい。わたしは怒った。出かけるときは声をかけないと心配するじゃないか、と。もう、どっちが親でどっちが子供だかわからない。少し親心がわかった気がした。

常時、心配しているわけではないのだけれど、一度心配スイッチが入ると止まらなくなってしまう。しかも心配の仕方がちょっと変じゃないかと思っているけど、どうでしょうか?

たとえば彼氏とデートをした夜。「今日は楽しかった」といった内容のLINEが届く。いつもなら届くはずのLINEがこない。送ったLINEも既読にならない。待てど暮らせど、既読にならない。まさか帰り道で事故にあった?病気で倒れているのかも?といった心配が駆け巡る。電話をすると、ただ寝てたなんてこともよくある。浮気かもしれないと思うけれども、まず案じているのは生命の危機なので、生きているなら浮気ぐらいいいやと思ってしまうぐらい心配している。

最近はといえば、子供が巻き込まれた痛ましい事件が起こるたびに、もし自分に子供がいたら、心配で外に出したくないなと思うようになった。
自分のまわりに子供を持つ人が増えたことで、子供がいる状況がより身近に感じられるようになったからだと思う。

もし自分に子供がいたら、わたしはどうするだろうか?とよく考える。とても生きづらい世の中だと思う。楽しいこともあるけれど苦しいことだってたくさんある。生きていくって大変だ。

結婚して家族を持つということは、幸せも増えるだろうけど心配も増える。わたしはその心配の重圧に耐えられそうもない。子供もいないのに、子供の心配をしちゃうんだから、本当に子供がいたら、もうどうなってしまうのかしらと…。想像するだけで、ドッと疲れます…。そんなわけで、わたしは結婚に向いてないぁの思うワケなのです。


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