見出し画像

目立たないという個性

自動ドアの前で、一歩前に出たり後ろに下がったり横に歩いたり。センサーを見上げては首をかしげ、また不審な動きを繰り返す。そうこうしているうちに後ろから人がやってきて、難なく自動ドアが開く。わたしってセンサーにも認識されないほどに、存在感がないのだろうか。

飲食店に入ったときも、しばらく店員に気づかれず待ちぼうけることがよくある。気づいてもらえないので、勝手に空いている席に座るが、店員はいっこうに気づかいない。「すみません」と声を上げるも、これまたわたしの声はまったく通らない。困り果てていると、親切な人が代わりに店員を呼んでくれる。人って案外優しいのだ。入店も気づかれないのだから、退店も気がついてもらえない。何度、そのまま出て行こうと思ったことか…。

できるだけ目立たずひっそりと生きていきたいとはいえ、もう少しなんとかならないかなと思う。声を張り上げるのは苦手だし、大きな声(と自分では思っている)を出したところで、気づいてもらえない。だから、もう少し、ほんのちょっぴりだけ存在感を出せたらなと思う。

そういえば幼稚園生のとき、お遊戯会で披露する劇の練習で「もっと大きな声出して」と何度も注意された。わたしは精一杯大きな声を出しているのに「もっと」と言われた。何度も何度も注意され、個別に特訓もした。わたしの思う大きな声は、どうやら大きな声ではないようだ。だからといって声の大きな人になりたいとは思わない。大きな声で話す人は苦手。さいわいだったのは、このときわたしが一生懸命に声を出そうとしていることを先生はちゃんとわかってくれた。だから先生は丁寧に優しく、大きな声を出すように励ましてくれていた。もしも、このとき先生に怒られたとしたら、それはちょっとしたトラウマになっていたと思う。ちなみに、このとき拝命したのは「閻魔大王」の役。まぁ、大きな声じゃないといけない役ですよね…。

目立つのが苦手で、できるだけひっそりと生きていたいと思っているから自分をアピールすることに抵抗がある。というか、できない。だから自分からガツガツ前に出ていかないと評価されない会社はすぐにギブアップしてしまった。でも静かに淡々と仕事をしているわたしを評価してくれる会社もあった。そんな会社は居心地がよく長続きした。目立つ活動をしていなくても、ちゃんと仕事ぶりを評価してもらえるのはありがたい。もちろん、自分がどれほど頑張っているかをアピールすることは大切。だけど、そういうことが苦手な人もいることを、もっとわかってくれる世の中になるといいと思う。

それから目立たないということは、容姿も地味であることは言うまでもない。だからモテない。でもときどき奇特な人が現れる。落ち着いた控えめな感じがいいと言ってくれる。物は言いようだ。なんとうまいこと言ってくれるのだろうか。世の中いい人もいるものだ。とくに大人になってから、そう言ってもらえることが多くなった。ありがたい。

目立たないことはネガティブに思われるし、わたしもそう思ってしまうこともあった。とくに若い頃は。できるだけひっそりと生きていたいとはいえ、リーダー的なグループに憧れた。でもいまは、目立つとか目立たないとかはどうでもいいし、それもひとつの個性だと思って受け入れることにした。目立つことなどしなくていい。着実に生きていく。しっかり地に足つけて。自分に正直に。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?