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正月も成人式も終わったあとの一月

昔から、欲しいものを聞かれるのが苦手だ。
子供のころ、親から「今年はサンタさんに何をお願いしたの?」と聞かれても、あんまり思いつかなくて、適当に目についたものを言っていた。
そのせいで何をもらったのかほとんど覚えていないのだけど、唯一デジタルカメラだけは「そんなに欲しくないのに欲しいって言っちゃって申し訳なかったな」と後ろめたい気持ちになったので覚えている。

本とか漫画は好きだけど、別に図書館みたいな家に住みたいとは思わない。本当に好きなものが最低限あれば良い。
ヨッシーが好きだけど、だからといって際限なくグッズが欲しいとは思わない。人が来たときにたまごの模様だらけのカーテンとか見て草間彌生が好きなの?って聞かれそうだし。
高層マンションとか高い車とかそういうものに憧れたことは一回もなくて、多分これはどこに旅行しても感動できないという感情の弁のなさみたいなものが影響しているんだと思う。一応、どうでも良い路地裏みたいなところで猫が喧嘩してるとか、ボロボロの定食屋で新聞を読んでるのか読んでないのかわからないおじぃとか、そういうものを見るとワクワクするので、自分の感情の弁とかける金額が見合わないというだけなんだろう。

たまに、そういう競争意識みたいなものと自分の中のかっこよさみたいな定義がかっちりハマっている人がいて、そういう人たちは露骨にちゃんと金持ちをやっているし、満たされない飢えのなかでさらに上にいこうする強さがあるから、そういうのを見ると羨ましいなぁとは思う。
この羨ましいなぁは、タワマンとか車とかを良いと思える感性に対しての羨ましいなぁであって、代わりにタワマンに住むってなったらめちゃくちゃ嫌だ。
あと、友達たちが順調に人生のコマを進めて、こういう手にしていく人みたいになるとどちらかと言うと寂しさの方が強い。
僕は今でも汚い居酒屋とか、狭いカラオケとか、公園で飲むチューハイとかそういうものがすごく好きなままで止まっている。20代後半で手にした好きなものがそのまま引き摺られてしまっていて、全然30代が欲しそうなものに感情が乗らない。
このままへらへらしながらサブカルおじさんみたいになっていくのは嫌だなぁと思うけど、それ以外の自分の着地点もわからないままふわふわと宙を漂っている。30万のタワマンに住むなら、8万ずつで中野坂上と大船と十三にそれぞれアパート借りる方が良いなって思うし、あの時みんな遊戯王やベイブレードで盛り上がれたのに、その延長線上に時計とか車とかあったっけってなる。いや、あったんだろうな。

1月になると、毎年成人式のことを思い出す。
地元の成人式は行かなくて、中高の友人に会って、幹事が多めに集めたお金で風俗行ったのがバレて二度と同窓会なんてやらないみたいな感じになったのが10年前だと思うと感慨深い。
あの時まだ大学にも行ってなくて、ほんとこの世の終わりみたいだったけど、そこから10年で賞をもらったり会社を作ったり一応仕事で色々頼ってもらえたり結婚したりとすごい変化だったと思う。死ぬほど長い10年だし全然やり直したくないけど、10年ってこんなに楽しいんだっけ。いや、この10年はこのあとの10年の期待値を必要以上に上げちゃってるよ。
なんとなくあるべき30代の10年とかだったらすごく嫌だなぁ、そういうことしたいわけじゃないよなぁと祈るような気持ちの方が強い。
これだけ時間あると誰でも変われるし、愛されるようになるし、あとたくさん友達ができると思うと、そういうもんなのかなって思うけど、自分に対する期待とかすっごい目標とか、強い欲望とかなくても、そのときそのとき1番楽しいことを1番好きな人たちとやるということだけで、期待してたところ以上に連れて行ってもらえるのが人生そのものって感じだ。

そういえば、10年開催されてなかった同窓会も今年は開催されるし、10年ってそういう歳月なんだろうな。
馬鹿なこと、面白いことをするのが指標だった同級生の多くは外資系コンサルティング会社で働き、医者とか弁護士とか経営者もたくさんいて、中には人工衛星を所有してアメリカとかイギリスの法律に関わってるやつもいるとなると、モノやステータスで承認欲求を満たすのが難しすぎる。ということを思い出した。
先天的なものもあるけど、後天的に欲求がストレートじゃなくなることってあるよな。

たまに会う人もよく会う人もみんなが自分の好きのことやれてると嬉しいなって10年前と同じことを思いながら、またここからの10年のスタートラインにたるんだ体で並ぶのが30歳なのかもなぁ。

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