AI時代になぜ言語化が必要なのか

情報過多な現代において、どう物事を理解していったら良いか考えた時に、言葉でミニマルに畳む技術を身につけないと苛烈さを増殖させる方向にしか行けない。
だから、畳んで整理するためにnoteを書いている。

私はミニマルに重要なことが畳まれているという点で「般若心経」ってすごいよなぁと思っている。
般若心経にはわずか260文字(別の文字数の説もある)で仏教の真髄となる教えが凝縮されている。
西遊記に出てくる三蔵法師として有名な玄奘(げんじょう、げんぞう)がインドから中国に持ち帰った「大般若経」が般若心経の原書とされていて、こちらは全600巻(約500万字)あるそうである。
まぁ、普通の人の頭で諳んじられるのは260文字程度だろう。
要するに一番重要なことがまとまった短いテキストというのは非常に使い勝手が良いのである。

何の話かというと、よく分からない物事を言葉で畳んで短くまとめると人は理解ができるようになる。
仏教はそれを何世紀も前に既にやっていたと考えるとすごいなぁと思う。
そんなことを考えながら仏教とAIについて調べていたら、だいたい私が考えていたようなことがウィークリー落合で既に話されていた。以下動画埋め込み。

動画内の仏教の専門的なところは全然分からなかったが「一回仏教なり哲学なり抽象的なところに形に落とさないと収集つかなくなってくると思う」と話していてやっぱりそうっすよねぇと思った。

情報量を増やしていくことよりも、人が扱えるカタチに畳んでいくことの方が重要な気がする。
今回は以上です。読んでくださってありがとうございます。

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