一生忘れない幸せは全て他人のおかげだった

これから目の治療をしなければいけないかもしれないらしい。
今日は眼科に行ったのだが、思いのほか調子が悪いらしい。
一旦は経過観察になったが、次回診察時に様子が悪いようなら一生点眼薬を使用していくことになるかもしれない。それが病気かどうか確定できていないぐらい初期ではあるのだが、もしそうであるなら年齢の割に重い病気なのだ。

それを聞いて、これからどうなるんだろうかと、とぼとぼと家に帰った。

色んな事が頭の中をぐるぐると回ったが、最終的に思ったのは、健康で思いっきり動けるうちにいくつか幸せな思い出を作っておけて良かったということだった。
もし目が見えなくなっても、記憶がある限りは幸せなことを思い出して生きていけるから。
(治療すれば失明することは無いのだが)

とりあえずは、思ったことを書き残しておこうと思い、文章を書くことにした。


頑張りすぎて目を酷使してしまったのかもしれない

ここ数年、私は意外と頑張っていた。
仕事もプライベートもそれなりに頑張っていたし、自主的にプログラミングの勉強もしていた。Youtubeの教養系の動画も見まくっていた。モニターをずっと見ていたし、色々と動き回ってそれなりに疲れていた。
このままやれば、もっと人生が豊かになって賢くなっていけると信じ切っていたのかもしれない。
結果としてはガタがきた。(それが直接の原因かは分からないけど)

それなりに努力家のつもりだったが結果何が残ったのだろう?

目を酷使できなくなったら、生き方やライフスタイルを変えていかなくてはならないかもしれない。
人生の分岐に立った今、ふとこれまでの努力が何をもたらしたか考えた。
結論を言うと、幸せを利確して、それを思い出すと幸せな気持ちになれるようになった。
分かりにくいかもしれないのでもう少し言うと、幸せな経験をしたので、もうそれで一生生きていける気がするのである。ラッキーもあったが、その経験をするチャンスを得たのは、努力してその場に立ったからだと思う。

一生忘れない幸せは全て他人のおかげだった

人生ですごく幸せだった時期がこれまでに2度あって、私の人生って何だろうと考えたら、その2つのことであろうと思った。そしてその2つの時期になぜ幸せだったのかと考えると、全て他人のおかげで幸せだったのだ
それに気づいたときに、私は風呂の中で少し泣いていた。
私みたいなやつに、こんな思い出を作ってくれたのだ。
とりあえずそう思えただけでこれまでの人生は成功なのだろう。
年老いて死ぬときにもこういう気持ちになりたい。

まぁ多分大丈夫

だいたい今回書きたいことは書き終わった。
とりあえず、目の負担を減らすためにPCやスマホを見る時間を減らす。
代わりにポッドキャストを聞いたり、英語のシャドーイングをする。

最近はnoteにドハマりして、読み漁っていたのだが、これからはそれができなくなる。
すみません、フォローしましたがあまりこちらからは見れなくなってしまいました。

投稿は、何か思ったらまとめて書くことを続けていこうと思います。
思考整理に役立ってるんです。無理せずにいい習慣として残していきたい。

今回はそんな感じでした。
それでは、何卒。

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