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8月3日

空港で数年振りに会った祖母が、不意に「なんでもいいけれど幸せになんなさいよ」と言ってきた。

私はその発言に対して「ん」と思った。思ったから、思ってしまったから、今度はちゃんと真意を問いただすことにした。二回目だから。二巡目だから。私は昔から、なんとなくの厚意や好意を向けられていると感じると、多少気に掛かったことがあったとしても「まあ、いいのか」と流してしまう傾向があった。それが続いたことによって、知らず知らずのうちに自分の中にある悲しみや苦しみを否定するような兆候すらあった。だからこれは向き合わないといけないと思った。聞かないといけないし、伝えないといけない。相手が年配だから、身内だから、友達だから、恋人だから。年齢差や関係性の違いによって加減する必要なんてなかった。そう思ったので、私は二回目に、二巡目に、二周目にやってきた。空港はこの前来た時よりも人が多かった。

祖母との会話を終えてゲートで、帰っていく背中を見送った私は空港の喫茶店に入った。気がつけば、隣のテーブルに同い年の友人が座っていた。友人は最近籍を入れたらしく私を式に呼ぶつもりだと言ってくれた。ありがたかったが、一次会からだと時期的にも気持ち的にも寝不足のままお酒を飲み過ぎてしまう気がするので二次会からでもいいよと答えた。

そのまま友人とお互いなあなあで雑談を続けていたら「独身ってことはさあ、ガラス張りのシャワールームがある部屋に住めるってことでしょ?」と急に言われて驚いた。そんなこと、いままで一度も考えたことがなかったから。たしかにガラス張りのシャワールームは誰かと住む部屋にぴったりくるとは思えないが。

私が驚いたままでいると、友人は続けざまに「いいなあ」「ガラス張りのシャワールームがある部屋、いいなあ」としきりにこぼしていた。どんだけ住みたいんだよ。ガラス張りのシャワールームがある部屋に。もうお前が住めよ。自身の性癖に他者を巻き込んでいけよ。それとも、そんなに言うならいっそ私が住んでやろうか。ガラス張りのシャワールームがある部屋。これまで部屋探しにほとんどこだわりを持たなかった私が不動産屋で「ガラス張りのシャワールームがある部屋がいいでーす」と元気よく発する姿が目に浮かぶ。この場合、元気よくない方がいいのかな。どっちがいいんだろう。ていうか、ついでにいうけどガラス張りだからってなにができるというのだ。お揃いのポロシャツを着てりんごマークのスマートフォンやパソコンでも売るんだろうか。他になにに使うっていうんだ。なにを売るっていうんだ。どんな使い道があるんだよ。ガラス張りのシャワールームがある部屋には。

脳内の半導体が不足している。


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