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ジュテが変えたもの

2019年のジャグリング界で最大の事件は、ジャグリング・ジュテをおいてほかにない。1999年から始まるたかだか20年の日本のジャグリングシーンのなかでも大きな転換点と言えよう。ほかに匹敵するのは 1999年のJJFの開始、2011年の門仲ジャグリングナイトの二つだ。

JJFで日本の、いや日本のみならず世界のジャグリングが新しい時代に突入した。IJAで無数の日本人の活躍はその証左だ。門仲は新たなジャグリング文化を、すなわちジャグリングステージという文化を築いた。それは、ながめくらしつやフラトレスの公演などとして確実に日本のジャグリングを支えている。

ジャグリング・ジュテとはなんなのか。なんだったのか。

形態だけ説明すれば、それは合同発表会、もしくは拡張されたジャグイベントのフリパである。自由なエントリーを受付け、予選や順位付けもなくただ坦々と出場者がそれぞれの信じるジャグリングを披露する。それだけである。

それだけ。

このただ、坦々と、各自の信じるジャグリングを、自分の意思でやる。ということが画期的だったのだ。JJF CS のようなコンペでもなく、XXジャグイベントの部分としてのフリパ発表でもない、なんのしがらみもなく、ただ単に自分のもつジャグリングを発表する、という機会。これが、あらゆる人の想像を超えて、出る人にも見る人にも求められていた。それを偶然に掘り当ててしまった事件だった。

滋賀県のすこし山の中、遠くにお城が見える地方のハコモノホールに、全国からの出演者と観客が集まったのだ。一種異様とも言える。比較的近い関西はもとより、東京や九州、ほんとうに日本全国から集まったのだ。

そもそも発端が唐突だった。twitter で突然出演者募集が始まった。これまでに例を見ないただ発表するだけのステージ。商業的でもなく、主催団体もしばらくはっきりしない。いうなれば怪しいくらい。なのになぜか絶大な熱狂をもって歓迎されたイベントだった。蓋を開ければ、福井ジャグリング界の一大勢力でもある藤島高校のOB/OGが主体であり、主催者のしっかりとした人脈がその成功を後押しした。とはいえ、やはり、大多数の目からすれば謎のイベントだったのだけれど。

こうした謎のイベントが大成功した。

それは、いまのジャグリング界がほんとうに求めているものが、練習会や、JJFチャンピオンシップ だけでない というごく簡単な原因に基づいたものだった。簡単だけれど、それは非常に強力だったのだ。

1999年に始まるいまの日本のジャグリングシーンは、アマチュアの熱狂から始まり JJF/CS の「うまさ」至上主義を経て、火力の信奉に行き着いた。しかし、同時に人口が増え続けたジャグリングファンの共通目標としては火力は弱すぎた。ジャグリング・ジュテの成功が示しているのは火力だけではない価値観の多様性そのものなのである。

多様性、これが日本のジャグリングの最大の特徴であり、長所なのだ。JJF/CSもそういう点で世界に先駆けていた。ジャグリング・ジュテがそれを思い出させてくれたのだ。

ジュテに感化され、東京でも、中部でも、同様の形式つまり無審査でただ発表することだけを目的としたオープンな発表会が開催されどれも好意的に受け止められ盛況を呈している。

ジュテが変えたもの、はなにか。

じつは、ジュテはなにも変えていない。本来、日本のジャグリングが求めていたもの、多様性を思い出させてくれただけなのだ。

でもこれは、日本ジャグリング界20年の歴史において非常におおきな事件だった。

もちろんいい意味で。

ジャグリングジュテ 2019年3月に滋賀県で開催された公募型ジャグリングステージ発表会。コンペでもなく、予選もない。日本全国からの出演があり、日本全国から観客が集まった。リンク

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