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帝国に挑む(3)~川西~

「兵庫県川西市」という町で育った。大阪のベッドタウンだ。

家を出て少し歩いたところに、「能勢電車(のせでんしゃ)」というローカル線が走っていて、子供の頃、母ちゃんと一緒に線路沿いまで観に行っていた。

向こうから大きな大きな音を立てて走ってくる電車を観ては、母ちゃんの服の袖を引っ張って「来た!来た!」と叫び、そのまま遠くに走り去って行く電車を追いかけて「行った〜!」と叫ぶ。実況史上最悪の実況だ。

それでも母ちゃんは懲りずに付き合ってくれた。電車なんて見飽きてるだろうに。

公民館の前の小川をジャブジャブと歩いて下ると、線路の真下に行けた。そこには一人で行った。

頭上1メートルを、4両編成の電車が走る。すごい音だった。すごいエネルギーだった。

橋がギシギシと軋んだ。「線路が抜けて、電車が落っこちてきたらどうしよう」という怖さもあったけど、そんなことよりも興奮が抑えきれずに、ボクは流れる川に足を突っ込んだまま、次の電車を、そして、またその次の電車を待った。

6月になると田んぼに水が張られ、よく見ると水の中で「カブトエビ」がワサワサしている。近所の兄ちゃんが「カブトエビは2億年前から生きている」と教えてくれて、ひっくり返った。ボクが生きている時間が、ほんの一瞬だと知った。

子供の夏は忙しい。

ザリガニ釣りに行った。とくに「アメリカザリガニ」は大きくてカッコ良かったな。大きすぎて、ちょっと怖かったけど。

夏休みに入ると、父ちゃんとセミ捕りに行った。お目当ての「クマゼミ」は、いつも木の上の方(かなり高い場所)にとまるから、子供のボクには届かなかった。

父ちゃんは、釣竿の先っちょに手作りの小さな網を付けた「オリジナル虫取り網」を開発して、次から次へと「クマゼミ」を捕る。ボクが、いつも捕っているウンコ色の「アブラゼミ」と違って、「クマゼミ」は2回りほど大きく、色も綺麗で、セミの王様みたいだった。

父ちゃんは、捕った「クマゼミ」を何も言わずにボクの虫カゴにサラッと入れてくれた。その動作からは「大人になれば、これぐらい、いつでも捕れる」と聞こえてきた。ホント、カッコ良かったな。

家の近所の「ヘビ神社」の近くに「クヌギの木」があったんだけど、あそこは、何度行ってもクワガタが捕れなかった。いつも捕れるのは「クワガタのメスもどき」。もうちょっとで「ゴキブリ」に分類される勢いの、黒色の変なやつだ。

山に入れば、クワガタが獲れる確率はグンと上がるんだけど、一人で山に入る勇気なんてなかったし、万が一、入山中に陽が暮れようものなら、もう帰ってこれない気がした。夜はキチンと暗いし、幽霊が出るかもしれない。学校じゃ「口裂け女」の噂で持ちきりだ。「ポマード、ポマード」と唱えれば、逃げていくらしい。

ボクは、「口裂け女が目の前に現れた時、咄嗟に『ポマード、ポマード』が思い出せなかったらどうしよう?」と本気で心配していた。

夜は暗くて怖かったけど、子供会の当番か何かで、「火の用人〜!」と叫び、友達と皆で拍子木をカンカン鳴らしながら、住宅街を練り歩くのは楽しかった。夜に出歩くなんて、なんだか大人の人みたいだ。

川西の冬の空は冷たく澄んでいて、星がよく見えた。オリオン座は何度説明されても「リボン」にしか見えなかったな。

小さな小さな田舎町の、さらに一部の地域が世界の全てだったあの頃。

そこは「ルーティン」から一番遠い世界で、子供のボクは、見るもの全てに感動し、憧れ、驚き、恐怖し、安堵し、毎日やたら忙しかった。

大人になるにつれ、ボクらは知らず知らずのうちに、そんな毎日に折り合いをつけてしまう。ホント、知らず知らずのうちにジワジワと。

25歳になった頃。たぶんボクは世間的には成功者だったんだけど、目先の成功ばかりを追いかけ、周りの評価に活動の軸を置いてしまい、同じような毎日を繰り返している自分がいることに気がついた。

その瞬間、「違うよな。こうじゃないよな」と思って、ポロポロ泣けてきた。

感動と、知らないことだらけだったあの頃みたいな毎日に憧れていたからだ。

2020年2月26日  大阪のホテルより

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