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そりゃあ はる しゃあないわ。
みんな 自分の選んできたもんを 背負うていくんやから。
ー池辺葵『プリンセスメゾン 3』

    先日、プレゼンツ仲間のナホさんとお話をする機会があった。
 聞き上手、話し上手、気配り上手にお料理上手。四拍子そろった観音様に、恋やメイクのアドバイスまでいただいて、ありがたや。心のなかでは猩々蝿(しょうじょうばえ)のように、しきりに両手をこすり合わせて、拝みながら慣れない土地を後にする。
 コロナから動員まで、裏方の仕事にまつわる話題を、さまざまお話させていただいた。印象に残った話をふたつ、書き留めておきたい。

 ひとつめは、サポートをする、ということについて。

 …西野さんは、みんなが迷っているときでも、淡々と武道館に行くための準備を進められると思う。
 いただいた言葉に、鼻高々になりかけて、ちょっと落ち着こう。それは、長い目で見たらよいことかもしれないけれど、そのときそのときでは、迷っている誰かを追いつめる可能性がある。
    ものごとの端緒には、かならずひとがいて、その先にもひとがいる。だから、始まりと終わりを害することは、したくはないし、どんなに素晴らしい理由を付けても、してはいけない。
 だとしてもそれでも、進みつづけることしかできないんだなあ、なんでだろう。答えはそのときは見つからなくて、次の次の次の日、ふっと気が緩んだタイミングで、浮かんだ。
 きっと、前職の影響が大きい。
 演劇制作者という生業(なりわい)の孤独のひとつを説明する例として、読んだことがある。その仕事のピークは、本番のおよそ1年から2年前に来る。これは、小劇場と呼ばれる規模での話だから、いわゆる商業演劇とか、席数が3桁の後半より多い会場を相手にする場合は、たぶんもっともっと前に来る。
 やりたいお芝居がある。企画書を書き、ひとびとに依頼をかけ、劇場を押さえる。それで、仕事の半分はおしまい。
 あとの半分は、チケットを売り出してから。お芝居は、見てくれるひとがいて初めて完成するから、そのひとたちにその日そのときに集まってもらうため、あの手この手に死力を尽くす。
 いっぽう、俳優さんや技術スタッフさんは、やっとその頃にエンジンがかかるか、かからないか。お稽古で徐々にボルテージを高め、本番でそれを爆発させる。
 かなしいかな、制作という職能につく僕たち私たちは、まさにそのとき、燃えかすの残りかすで、どうにか現場を回すはめとなる。むろん、ちゃんとそこまでエネルギーを配分している、素晴らしい制作者の方はたくさんいる。けれども、そこに困難さがあることはまぎれもない事実と思う。
 だからこそ、ほかの皆さんが静かに己と向き合っておられるときに、手を動かしつづけることは苦ではなく、むしろあたりまえ。
 少し話がそれるけれども、裏方はチームであるべきと、ことあるごとに口うるさく言うのも、それが大きな理由だ。
 孤独であるのは、仕方ない。せめて分け合おう、人間だから理想だけではどうにもならないことがある。
 能力のあるひとほど、からだとこころを損なって、離れていく。もう見たくない、という気持ちが強い。
 選んだ仕事についてくる業(ごう)なら、仕方ない。工夫で乗り切りたいと、今は思う。 

 ふたつめは、信じる、ということについて。

 武道館に、という話をすると、たいてい、どうしたら行けるんでしょう。問われて、うーん。いまだ明確な答えを持っていないのが、恥ずかしい。
 それでも食らいつくわが身のおこないを、信という美しい一文字に置きかえることはできない。
 見えない景色を見えるということにする。それは、狂の一文字とイコールで結ばれるのではないか。そんなふうに思う。
 エネルギーのいることなので、ずっとは続かない。毎日毎朝、よし、今日も。そうやって決めなおす。新しい朝に、きちんきちんと狂いなおす。
 生粋の、坂爪さんやGiさん、Ryuさんのファンではない。このひとならば、きっと行く。そんなふうに、周りの何もかもを遮断して、きらめく瞳で見つめることを、今できないということは、未来でもたぶん、できない。
 その代わり、今でしょと言うみたいな気軽さで、行くでしょと思っている。だって、行くって言った。言われたら、そうなんだと思って、その前提で動く。
 自他の境、本音と建前の境が、昔から薄い。これは、いろいろな捉え方ができると思う。純粋、と言えば聞こえがいい。あほうと言えば、その通り。狂人め、黙っておれと言われれば、ごめんなさいと項垂れるしかない。
 書かれた言葉も言われた言葉も、まるのまま受け取る。でもそこに、たとえば港町で船乗りの男を待つような殊勝さは、ない。
 立身出世を誓った男に、わかったそれじゃあ、望みを叶えるまで二度と敷居をまたぐなよ。今際の際にも、言い放つ。これは心がけの話で、ほんとに言うかはぜんぜん別のことだけれど。

 武道館に立つ。ほうほう、それは素敵だな。
 素敵だけど、大変だな。チャンスは、きっと八方手を尽くした先に転がり込んでくるな。
 そういう世界観で生きている。
 そうでない世界観で願いが叶うなら、それはそれで万々歳と心から思う。あくまでも、やりたいことは助けであって、助けたいひとたちが笑うなら、それが一番。
 未来はまだ、見えない。
 だから今、考えて、動く。
 答え合わせはその先に。泣くか、笑うか。見るために、まず、飛び込む。 

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