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真昼のUFO

 小暗い(おぐらい)和室。やかんから立つ湯気に目を眩まされて、擦る。
 はるばる京都からいらしたGiさんは、床の間を背に。
 家主であるところの坂爪さんは、出入口の襖の前にふっと座る。
 対面は、縁側。白くまっすぐな光が射すそこに腰を下ろしたのは、ゆーほさんだった。
 ぐるり、配置を見回す。上を見る。天井が高い。また下に視線を戻して。
 ここにRyuさんがいらしたら、四神みたいですねと言った。
 シジン? と、笑みを含んだ声で返した坂爪さんは、おそらく「詩人」という漢字を浮かべていた。だからことさらに真面目な声色を選んで、四つの神の、方位のやつですと言った。
 おお。
 ずいぶんかっこいいねと言う声はわずかに華やいでいて、根が単純だから少し嬉しくなった。だって本当にそう見えたのだ。朱雀、青龍、玄武、白虎。つねに燃えさかっている坂爪さんは言うまでもない。RyuさんのRyuが龍かどうかは本当は知らないけれど、ここはやはり青き龍を背負っていただく。まだほとんどお話をしたことのないGiさんをどう捉えるかは迷いに迷って、地に足のついている亀だと思った。
 残るは白い虎。
 柔らかな物腰から、それを連想するひとは、もしかしたら少ないのかもしれない。でもどのときからだろう、このひとは虎だと思っていた。
 ただの虎ではない。元はひとだった虎。
 山月記というおはなしは、今はどのくらい有名なのだろうか。

 以前にも書いたことのある「bridge」という曲について、ゆーほさんの声で歌われるほうか、坂爪さんのほうを選ぶかがむつかしい。どちらもどちら、正反対の魅力がある。正直に言うと、坂爪さんの歌うそれが新着動画のリストに出てきたとき、なんでと思った。もうかっこいいのがあるじゃない。再生して、すみませんでしたとうなだれた。音楽のこと、何も知らないしろうとはすぐに意見を翻す。それでも、ゆーほさんのシャウトが好きなんだとこっそり唇をとがらせた。
 坂爪さんが声に乗せると、だいたいあの世の歌になる。もう死んだひとが、世界を優しく眺めてる。達観と諦観、そこにぶち込まれる激烈な反発。今この時を生きたいひとは、そこにひとすじの救いを見るのではないかしらと思ったりする。
 ゆーほさんの声は、生き物の声だ。今この時から逃れられない、人としての声。その熱に惹かれるひとはきっといる。
 だからこそバンドとしてのバランスがいいのだな、なんて思っていた。
 何も知らないしろうとは、知ったかぶりで簡単に先を見誤って、そのことに否応なしに気づかされたら、ただ息をつくしかできない。

 人とそれ以外のもの、についてもう少しだけ書く。
 この4人は、人という概念を軸にして考えるとてんでばらばらで面白い。
 坂爪さんは、仙人。見習いかもしれない。俗世を離れて遊んでいる、ように見えて、実はまだまだ見習い中。煩悩も結構ある。
 Giさんは、世捨て人。人であることをみずからやめて、森の奥にひきこもって暮らしている。でも最後に人と付いているとおり、本当はまだ人であることを最後の線で手ばなせない。
 Ryuさんは、赤ちゃん。7歳までは、神のうち。きらきらひかる魂で、ただそこにいる。これから人になる予備軍は、実はいちばん強い。だからこそリーダーという責務を担っていらっしゃる。
 ゆーほさんは、人。
 上にも下にも飾りのつかない、ただの。言うまでもなく、それは優劣の劣を意味するものではない。ただ、並ぶと異端性がきわだつのもまた確かだ。
 それこそが、バンドという集団にふくらみを持たせるのだと思っていた。
 困った。また同じことを書いている。

 プロデューサー、という単語の意味を今もってよく理解していないのは、かつて自分が同じ言葉で呼ばれる立場にあったからと思う。
 おそらく業界ごとにずいぶん違う。すくなくとも前の業界では、長く雑用係と同じ意味合いで認識されていた。横文字に置き換えることで、ようやく顔を上げられたひとが幾人もいる。
 音楽の世界では、きっともっと、ずっと格好いい。そのことが、前を見る力を与えてくれる。
 ほんとうは、このタイトルで半月後くらいに文章を書くつもりでいた。あたためていた内容も全然違う。なんてこった。
 でももしかしたら、今このときのために思いついた言葉だったのかもしれない、とも思う。
 真昼の空に浮かぶUFOは、見えない。
 見えないところに、でも、ちゃんといる。
 真昼の幽霊と同じで、そばにいてくれる。
 今、ここに。この瞬間に、寄り添って。




 

  
 

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