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アコギ回顧録 Vol.43 「ホールコンサート」「音楽抜きでも付き合っていけるのか?」「ユニット名“TIMENOTE”の由来」

 ギターを道具(弾くもの、使うもの)として捉え、プレイヤーの視点から見た良いギターとはどのようなものか?その答えを追い求めて50年余り。所有したギター本数も3桁に届くぐらい?!
 その答えと言えるかどうかわかりませんが、過去~現在を振り返って自分なりの考え方をまとめてみようと思いました。アコギ好きの方、興味のある方にとって、少しでもお役に立つことができれば幸いです。

「ホールコンサート」
 ライブは1年に1回のコンセプト(そんな大そうなものではありませんが・・・)を守り、何年かはそのペースで続けて行きました。 
 ライブハウスか自分たちでライブが可能なスペースを借りてライブをするのがいつものパターンでしたが、自分の中にはコンサートをやりたいという気持ちが昔からありました。そしてついに意を決してコンサートをやろうと決め、初めてホールを借りることにしました。そのとき自分たちだけでは不安だったので、“ハックルベリー”で出会い、その後何度かライブを見に行って話すようになったシンガーソングライターのPETAさんに出演を依頼しました。以下2枚の写真はPETAさん。

PETAさんの愛器はSOMOGYI MD-Cutaway 1986

 PETAさんはゲストでの出演を快く引き受けてくれました。コンサートまでは数ヶ月あったので、相棒を紹介するべく東京で3人で会うセッティングをしました。当時PETAさんは東京の「高円寺」というところに住んでいました。Y・Tも武蔵境に住んでいたので(どちらも中央線でさほど離れていない距離です。)、会うのは楽でした。場所はどこだったかはっきり覚えていませんが、居酒屋でした。最初からスムーズに話が弾み、二人ともすぐに打ち解けてくれました。自分はお酒をまったく飲めないのですが、PETAとY・Tはかなり飲む方だと思います。この日は初対面だったにもかかわらず、かなりのペースで飲んでいました。最初はビールで始まったのですが、途中から日本酒に変わり最後は二人で一升以上飲んでいました。後で聞いたら二人とも翌日は完全な二日酔いだったそうです。そんなこんなでPETAとY・Tもすぐに仲良くなり、時々は飲みに行ったりするような仲になりました。

PETAさんの動画

 
 ここから後の部分は10数年前にMixiで書いていた日記としての“アコギ回顧録”そのままです。
 こうして1995年10月9日、PETAさんをゲストに迎えて初めてのコンサートを京都で行いました。今でもこのときの映像が残っているので、久々に見てみましたが、いやー、若かった!映像を残しておいて良かったなとしみじみ思いました。(あまり人には見せたくありませんが・・・)他にもいくつかその頃の映像が残っているので見なおしてみましたが、忘れている曲がいくつかあってちょっとびっくりしました。自分の作った曲なのに、妙に新鮮に感じて面白いもんやなと思いました。 
  この時のビデオ、それ以来見ていません。確かVHSだったと思うので、今では見ることができないと思います。幸いいくつかの別のライブの映像は残っているので(何年か前に、アナログ映像をデジタル化した覚えがあります。)、そのうちどこかで出せるかなと考えています。恥ずかしくて出せないかも?ですが。
 かろうじてコンサートの写真が残っていました。27年前!

自分が弾いているギターはMartin D-41 1969
相棒が弾いているギターはSomogyi SJ-Maple 1993

 コンサート当日は3人とも同じホテルに泊まりました。この日をきっかけにPETAさんともますます親しくなり、京都で彼のライブを企画したり東京へ行ったときには彼の自宅に泊めてもらう、そんな付き合いが始まりました。

「音楽抜きでも付き合っていけるのか?」
 初めてPETAさんのライブを見たのが1992年の11月でしたので、このホールコンサートで共演?するまでに約3年の月日が流れていました。このコンサート以降、本格的な友人としての付き合いが始まります。
 以前から思っていることですが、長く付き合えるかどうかのポイントは“出会いの時の関係性”というものがなくなってしまっても付き合えるのか?ということだと思っています。ちょっとわかりにくい表現になってしまいました。わかりやすく言うと、
 
音楽というものを通じて知り合ったけれど、音楽抜きでも付き合えるのかどうか?
仕事を通じて知り合ったけれど、仕事をすべて抜きにしても同じように付き合えるのか?
 
ということです。当たり前の話になりますが、人と人の付き合いなので最後は人間性や相性というものが大切な要素になるのは間違いないでしょう。相手が有名な人だったり社会的地位の高い人だったりすると、人気の高さや肩書に腰が引けてしまい余計にその部分がおざなりになってしまう可能性があります。そこを踏まえて、一人の人間としてその人を見て行くことが長く付き合っていくための大事なポイントだと思っています。PETAさんとの付き合いは今も続いています。この歳になると(67歳です。)「ああ、縁があったんやな。」としみじみ思います。

2021年の写真です。

「ユニット名“TIMENOTE”の由来」
 1997年のある日、PETAさんが「CDを作ってみませんか?」という話を持ってきました。それまでCDを作ろうなどということは一度も考えたことがなかったし、とてもそんな実力はないと思っていたのでその提案にすごく驚いた記憶があります。PETAさんは友人のミュージシャンのCDをプロデュースなどをやり始めていた時期で、すべて自分が段取りするから任せてくださいと言ってくれました。少し迷いましたが、Y・Tとも相談して「売れる、売れないは別にして、自分たちの記念として作ってみようか?」ということになりました。
 こうしてPETAさんをプロデューサーに、アレンジャー、レコーディングエンジニアなどすべてPETAの友人で固めて、自分たちのCD製作が動き始めました。

 二人ともサラリーマンで長期の休暇をとることが難しいため、先にバックの音源(カラオケ)を創ってから自分たちのギターと歌を録音するやり方で進めることになりました。あらかじめアレンジャーに録音した曲とコード進行表などを渡しておき、すべてのアレンジをお願いして録音に望むという段取りでした。
 
 このアルバムを製作するときにユニット名が“やっちゃんず”ではちょっとまずいかな?という話になり、生まれた名前が“TIMENOTE”(タイムノート)でした。
 
 “TIMENOTE”という英語は多分ないと思います。(ちゃんと調べたことはありませんが・・・。)NOTEという言葉にはいくつかの意味があります。音符という意味もありますし、音調、旋律などの意味もあります。また注釈・注解、書き留めるなどの意味もあります。とくに決まった言い方はありませんが、TIMEは時(時間、時代)なので“時の音・旋律”“時を書き留める”などの雰囲気が出ていればいいのかなと思っています。

1993年当時のライブの写真です。弾いているギターは
MossmannのSouthwind。かなり貴重な写真かも?です。
MossmannのSouthwind 今はこんな感じです。

 次回はCDのこと、レコーディングのことなどを中心に書いていきます。


 拙い文章をお読みいただき、誠に有難うございます。皆様の感想、ご意見をお聞かせください。 またアコギに関する相談等がございましたら、どんなことでもOKです。遠慮なくお尋ねください。
宛先 e-mail:mail@acogian.com または twitter(@acogibucho)にお願いします。


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