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“恥ずかしさ”の効力は類を見ない

最近、友達の会話の中で話題に上がったのは、”自撮りができるかどうか”ということ。

自分は自撮りができる派で、友達はできない派であった。

なぜ自撮りができないのかを問うと、”ナルシストを感じるから”という意見であった。

ここで私はナルシストについてなぜ嫌うのか気になった。

確かに私自身も己の力を過度に自慢し、他人をけなす人(自分の中でこのような人をナルシストと設定)は嫌いである。

しかし、なぜこんなにも人はナルシストを嫌うのか?

一つの意見として私は、”恥ずかしさ”が関係しているのではないかと考える。

力を誇示している姿は価値観の強要に過ぎないし、ただの自己満にしか過ぎない。

また、その滑稽さに対して子供らしさを無意識に感じることで嫌気を覚えるのだろう。

本題に戻るが、自撮りを嫌う友達は自撮りをする人に対してナルシストっぽいからと理由付けをしているが、それの本質は


恥ずかしいと思わないの?子供っぽくない?


という気持ちが根底にあるのだろう。

これは夢追い人に対して毛嫌いする人が感じる気持ちにも同様のことがいえると思う。

年齢を重ねるにつれて現実を考えるようになり、夢をあきらめる人が増える。

夢の実現を絶った人が未だに夢に向かって努力している人を見ると子どものように見てしまうのかもしれない。

夢の実現を絶つことが正の成長と考えてしまい、彼らは夢を諦めきれない人よりも大人と位置付けてしまうのかもしれない。


恥ずかしいからやらない、恥ずかしいから言わない、恥ずかしいから嫌い


どんな行動にも、感情にも”恥ずかしい”という気持ちが理由になる。




けど、恥ずかしいからしない、というのは結構もったいないのではとか考えたりしちゃって。


最近の考えでした。






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