ダンス感 - 形?音楽性?
ここ最近のダンスバトルブームで置いていかれている
音楽性
逆に磨かれ続けている
形
について考えてみたいと思います。
まずこちらのバトルをご覧ください
まず言っておきたいのはこの二人のバトルはめちゃくちゃ会場が盛り上がりました。しかし賢明な読者の方はお気づきだと思いますが、決して技術は上手いわけではないのです。どちらかといえばフィーリング・感情・音楽性のバトル、ぶつけ合いをしているのです。音ハメという意味でなくそのはめるポイントまでの流れとか動きの持っていき方など。音楽と同じです
これが音楽性を重視するダンスの初期段階です。これに技術や知識、筋肉が伴いダンサーとして成長していくのです。キッズの頃なんて下手で良いので。
音楽があるのでそれにのって踊る。これがそもそもの始まりですよね?
引用 Wikipedia
先に自分が [ 踊りたい ] があって、そのために音楽をかけるというのはそもそもの話でいうとおかしいのです。そこまで深くは考える必要はありませんが自分を表現することばかりに頭がいってしまうとどうしても置き去りになってしまうのが [ 音楽を表現する、リズムを体現する ] という部分です。
音楽性=音ハメと勘違いする人がいますがそれは間違いです。
音楽性とはリズムに乗りながら強弱を取り、楽器のように重い軽い、引きずる跳ねる、あえて遅く早く。など、自分の体をリズムに合わせて自由に演奏する作業なのです。体から出るリズム感が消えてはいけません。消すのは良いのです。消せるという事は出せるという事ですから。
正直私はもともとベースをやっていたのと、このゲームで音を作ることは勉強したし、リズムに対してこうやってラップするんだ?と興味を強く持ちました。パラッパラッパーというゲームはリズムに合わせてボタンを押すだけのゲームなのですが、その決められた場所以外で押しても良いのです。なのでリズムの数を増やしたり、倍速で押したり、指示のない部分で自分でリズムを作って高得点を狙ったりします。自由にPlayしても良いのですがなかなか出来ない人が多かったです
問題はここにあって、リズムって自分で勝手に作って遊んで良いのです。リズムさえ外さなければ楽しく遊んで演奏すれば良いのです。パラッパラッパーに形はあるでしょうか?画面の中で主人公が決められた動きを繰り返すだけなのです。もっとも重要なのはリズム感と演奏なのです。
この演奏して遊ぶという部分に全く自由度がありません。ここがもっとも今のアジアのダンサーの問題だと自分は思っています。もっと崩しても良いんです(リズムさえ外さなければ)、もっと形は下手で良いんです(リズムさえ外さなければ)。リズムって大事ですよ?生活のリズムっていうでしょう?リズム感を持つというのはどんなことにも重要なのです
ではなぜ今のダンス界で形を追いかける事ばかりが流行するのでしょう?
それはズバリ、ダンスのイベント主催者が増えすぎて見られるバトル、コンテストが多い事です。これ自体は悪くないのですが、垣根が低過ぎることが大問題なのです。ダンス人口増に伴うイベント増は良いのですが、門が広い分考えずに人前に出る人が増えました。さらにあまり考えずにダンスをして、イベントが多いので審査員が足りないからまだ未熟なダンサーがジャッジをし、ジャッジをする側に回った事で「私はもう習うようなダンサーじゃない」とか「もう自分が習っている姿を誰かに見られたくない。自分が出来てない姿は見せられない」となってしまい、どんどんレベルが下がっていきます
ダンススタジオの異常な増加と無資格インストラクターによるダンスを知らないダンサーの量産がピークを迎えているのが今ではないでしょうか?簡単に自分が先生と呼ばれるようになり、社会から認められた気分になり、そこでもう成長を止めてあとは自分の立場を守る事に走り出す人は実際にいます。未熟な先生に育てられた生徒は目に見えない部分まで気づきません。それはやはりダンスバトルの影響でしょう
ダンスバトルは若いジャッジが裁くとどうしても大味なダンサーが勝ちやすく、音楽を表現しようとして、その結果動きが地味で小さいと負けやすいのです。負けが続くと承認欲求の強いダンサーならどうなると思いますか?勝てる踊り方に適応しようとしてスタイルを変えるのです。ここまで極端な事は上手くなってからは起こりにくいでしょうが、ダンスを始めて間もないキッズ、バトルに出始めた子供たちがそういうジャッジを見るとやはり
[ 大きい事が正義 ]
になり兼ねませんよね?大きいことが悪い事ではありません。でも、音楽って大きい音、強い音だけで出来ていないのですよ。ピアニッシモからフォルテシモ、それ以上まで強弱の幅ってあるんです。強く踊るのに弱く踊らなかったらおかしくないでしょうか?皆さんの友人で全ての会話が大声の人がもしいたらどうですか?しんどくないですか?
どうするべきなのか
ではその動き先行の今のダンス業界で流行っているものをどうすれば良いのか?答えは簡単で音楽の聴き方を教えてあげれば良いのです。例えばリズムに対して3連、とかアクセントの話とか、トンなのかトーンなのかトーーーーーーーンなのか。というこういう基礎知識を簡単な技術を使ってレッスンでやれば良いのです。今は無意識に惰性で「はい、アップダウンやるよ〜」と言って音楽かけて、その音楽がどんなに変わった曲でも同じ1,2,1,2,で運動させてしまっているのです。これでは音楽性は絶対育ちません
これを見てください。私の尊敬するリズム師匠です。ラリー御大
まさにダンス!足でリズムを刻み、手で演奏し、歌い、シャウトし、最後にWoooo I like that !!ですよ?これぞFunkyです。この感覚なしにダンスは絶対語れないわけですよ。一つの例として下の動画を置いてみます。これが黒人と日本人の差です。悪意はないですのでほんの一例としてご覧ください。
どうでしょう。踊り出したくなりますか?これと同じことが今ダンス界に起きていると思ってください。ゾッとしませんか?私なら楽しめないと思います。どのバトル見ても音を料理して自分を表現しようとしている人が昔より確実に減っています。昔もそこまで音楽が大事だ!と言っている人は多くなかったですが、その代わりにめちゃくちゃ形や角度、入り方などディティールにこだわる人が多かったです。
楽器とダンスは違うと言う人もいますが同じです。忘れないでいただきたいのが私のいつも言うダンスは [ ダンサーにとってのダンス ] です。一般人が音楽を聴いて体を揺らす事にテクニックはまったく必要ありません。一番当たり前で、根源的なものは[踊りたい気持ち]です。だから揺れたくない人は揺れてないですし、好きな曲がかかったら飛び上がるのです。そこにリズム感は重要ではなく、好きなモノ、事を好きと言える感情表現が全てです。
ダンサーも本来はもっとここが同じであってほしいのですが、人前で見る場合のダンサーは得てしてそうではない事が多いです。それは緊張に負けているダンサーが多いからです。ただ音楽が好きで踊るなら緊張もする必要はないんです。しかしどうしても緊張してしまいますね。わかります。難しいですよね
楽しむ気持ちがしっかりあって、上手い下手、形が良い悪いなどを全て後回しにしてリズム・メロディー・ハーモニーを味わい、自分の体を使って演奏するように踊る。その追求の先に人前があり、コンテストやバトルに出る。こういう本来の流れになればもっと日本人も見ててワクワクするダンサーが出てくると思います。今はバランスが悪いと思います
確かにここまでダンスカルチャーを壊したダンスバトルという文化は個人的には今となっては好きではありません。実際私達世代でバトルで育ったという人間は誰もいません(用意されたバトルイベントという意味では)
好きではない一番の理由は
[ どうせ知らない曲がかかるから音もわからないし、とにかく動きだけ練習しておこう ]
と考える人が増えた事です。本当の即興は音の感じが変わったらその感じに合わせてなんとなく自分のやりたいその踊りを [寄せる] か [踊らない] かなんですよね。でもバトルに出ている以上辞めれないわけじゃないですか?じゃあ寄せ方を知らない人はただただ[動く]んです。それでいて未熟なジャッジがいると派手な動きをしていたから勝ち〜となりがちです。
結局これがダンスのスポーツ化と言われている所以です。本当に最近音楽の話が出来る友人が減ってきました。I Feel For Youの冒頭のRapが誰なのか?ホイットニーヒューストンの旦那が誰なのか?こういう話を普通に出来る人がいません。ダンスはコミュニティーであり、文化であってほしいのですがなかなかそうではありません。ダンスの資本主義化のもたらす弊害であることは間違い無いでしょう
バトルに勝つ人が有名になり、ダンスの知識人、ダンスフリークが放置される今のダンス業界に明るい未来はないと感じます。横並びで年収200~300万円の世界がただ広がっているばかりです。本来ならこういうニッチなカルチャーは知らない人は一銭も稼がずただ楽しむ、知っている人はもっと博識でもっと上手でもっと音楽も知っていてさらに稼いでいるはずなんです。ダンス人口は激増しているわけですから
音楽性 vs 派手な動き
いまだに尽きない論争ですね。
あなたは音楽?スタイル?
どちらが好きですか?
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