謎の毛皮売りバイトでひと儲けできるか(裏モノの本1998/12頃より)

 ライター業って不安定な仕事だ。
 僕の場合、連載を持っていないから余計にその傾向が強い。ポーンと羽振りよく3桁のお金が入ってくることがあると思えば、全く無収入の月もある。今は谷の時期。原稿料をもらえるのに時間がかかるムックや文庫本の執筆ばかりしていてここ数ヶ月収入がなくなっていた。しかも10月には引っ越ししたせいもあって、気がついたときには貯金が尽きてしまっていたのだ。そこで、「バイトでもしてこの場を乗り切るか」と考えて、アルバイト情報誌を買いに行こうかと思っていたときだ。

 鉄人社編集部のムナカタ氏が絶妙なタイミングで僕に連絡を取ってきた。内容は裏バイトのレポートである。生活費を少しでも稼ぎたい、と思っていたので渡りに舟。バイト代を懐に入れながらレポートを書きダブルで稼ぐ。これは正直いっておいしい仕事だ。本当に儲かるのかどうかは分からないが。


「土日でOKイベントB・35歳迄男女不問××・・・」

 で、打ち合わせで渡されたのが、夕刊フジに載っていた広告ののコピーだった。
 いったい何のバイトなのだろう。イベントって何だろう? コミケの売り子でもやるのか? それともお祭りのテキヤでもやってタコ焼きでも作るのか? 想像つかない。土日だけというのも気になる。それにしてもムナカタ氏、よくこんな訳の分からない広告見つけたものだ。
数日後、広告に載ってあった指定の携帯電話の番号をプッシュしてみると若い男が出た。
「はい、塩田です。どの媒体をご覧になったのでしょうか?」
口調は丁寧だが後ろが騒がしいせいか耳をつんざくほどの大声だ。ここはディスコか?
「夕刊フジです。これはどんな仕事なのですか?」
「毛皮を売るんですがテーマはお祭り騒ぎです。一度事務所までいらして下さい。それでは前日に一回、一時間前にもう一度電話してください」
お祭り騒ぎ・イベント・毛皮。キーワードだけだと実際どんな仕事なのかよくわからない。それに何で事前に二度も電話をする必要があるのだろう。実際のバイトの内容とバイトの面接場所はどんなのだろうか、探りを入れにひとまず行ってみよう。

事務所へ

 約束の10月31日夜8時に事務所へ出向く。指定場所はJR山の手線の御徒町。駅を出て約5分の雑居ビル。エレベーターが指定階に到着する。「ピンポーン」。とそこは一見、ごく普通の会社の事務所だった。ガラスのしきりが部屋の奥半分を占める事務スペースを隠していた。また手前は約10畳のスペース。机が8つ並んでいて、商談スペースという感じなのだ。しかし部屋の中はそんな店の内装とはミスマッチだった。声が掻き消されるほどの大音量でユーロビートが鳴り響いていたのだ。まるでピンサロのようだ。電話での騒がしい音は音楽のせいらしかった。
「うおー、おはようございます」
下は高校卒業したてようなのから、上でも20才代半ばまで。僕が事務所を訪れると、居合わせたダブルの背広を着た若い男たちが5~6人(以降チーフと呼ぶ)、威勢のいい居酒屋の店員のような気持ちいい大声で出迎えてくれた。その中の一人である電話の主、塩田さんも20才半ば。背が180センチ少しある体格のいい男だった。
「どーもどーも、よくいらっしゃいましたー」
くすんだ草色のダブルの背広を着て軽やかに目の前に現れた塩田さん。表情は笑っていたが目が血走っていてドーピングしたかのようなハイテンション。怒るとどうなるか想像つかない。半殺しになるまで殴られ続けそうだ。そういえば塩田さんの顔をよーくみると目の上を切った古傷があった。彼はもしかしてチンピラなのだろうか?
彼に促され机に備え付けられた椅子にすわり、説明開始。まずは会社の概要から。
 大阪に本部があり全国20個所以上。各所で毎月数日ずつの展示会が開かれているという。会場に5~700着の毛皮を展示し、日に2億円の売り上げ。業界の6割のシェアを持つ会社がバックにあり、会場も毛皮もそこから借りてくるので元手はいらないらしい。やる気さえあれば誰でも事業を展開出来る、かくいうこのイシタニカンパニーの社長の石谷さんも独立組なのだという。
「毛皮いっぱい着させてあげるから一緒に遊ぼう。お茶飲みに来てよ、って感覚。毛皮の知識はいらないし、みんなで夢を実現させようって目的だけでいいんだよ」

 そういえば壁には、車の免許を取る、一人暮らしの資金を稼ぐ、外国を3ヶ月旅する、車を買う、店を持ちたいなど一人5個ずつの目標が壁一面、百人分ぐらい貼られている。毛皮の売り上げの一割がバイトの手に渡るようなフルコミッションのシステム。つまり逆にいうと一人も売れなければただ働きになるということだ。
「買ってくれなさそうな男の客でも大丈夫。僕の最初の客は服装に無頓着なネクラくんだったんだ。とてもだめだと思ってたんだけどね。何着も着せてあげて似合うよ似合うよと言ってあげたら、ものの5分で商談成立してね、15万円だよ」
 下は5万円から上は2000万円。デパートでも見ることが出来ない貴重なものまで展示会では揃えているのだという。一日に60万円も稼いだ人もいれば、10人会場に連れてきて一人も買わせられなかった人もいるという。つまり60万円稼いだ人は600万円、塩田さんは150万円の毛皮を友達に売ったことになる。ひょえーすごい値段だ。

 実際の商品もみせてもらった。毛皮というとひざ下までの丈の茶色い長い毛並みのもの。それをクラブのホステスや極道の妻が着ていて、値段が高くてとてもフツーの人には縁のない代物という印象がある。しかし実際に目にしたものはスポーツ刈りのような毛並みの短いもので紺色。手がとろけそうになるぐらいさわりごこちがいいもの。丈はジャンパー程度の長さで股下ぐらいの丈。背が低くてむさい僕も着せてもらったがジャンパーの代わりに着てもそんな違和感のないカジュアルさだった。

 このあと展示会までのスケジュールの説明が続いた。実際のバイトの場である展示会は13日から16日まで青山にて。その期間だけポッと出て働くのかと思っていたら違った。11月5日に研修、9日に前夜祭という飲み会、12日には実践練習と事前に何度もこの事務所を訪れる必要があるというのだ。これは面倒だ。スケジュールを覚えないと出損なってしまいそうだ。そこで話の内容をノートに書きながら説明していく塩田さんに試しに聞いてみた。
「僕スケジュールってすぐ忘れるんでそのノート、コピーさせてもらえますか?」
「ここにはコピー機がないからだめなんだ。そのかわり松本さんが来た度に同じ内容を話してあげますよ」
 僕の質問にちょっと焦りの表情。なにか隠しているのだろうか。妙なハイテンションと目の古傷、礼儀正しさ、そして焦りと塩田さん自身ちょっとおかしい。それに事務所で音楽ガンガンにかけているという事自体何の必要があるのか? しかも音を鳴らしているステレオには「チーフの許可なく音楽をストップせぬこと」と張り紙がしてあるではないか。それにたかがバイトだというのに「夢の実現」とか「目標」とかなんで持ち出すのだろうか? 毛皮の販売に僕のような知識のない素人を必要とされるのだろうか?

  また、毛皮の値段が平均100万円以上と尋常じゃないのはなぜだろう。本当にあの値段なのだろうか? この不景気の中、100万円とか払って買う人間なんて本当にいるのだろうか? 考えれば考えるほど怪しい。上の特徴から想像するにこの事務所はヤクザかなにかその筋の人間がからんでいるんじゃなかろうか。とすると毛皮が組の資金源? 背広の男たちはその手の組織の下っ端ということなのだろうか。まあ、客に高い買い物をさせてがっぽり儲けられさえすれば、どんな組織かなんてどうでもいいけど。それよりタダ働きの働き損にならないように頑張らねば。最初の面接を終え、いろいろと想像を働かせながら家路についた。

研修


 11月5日午後8時は研修だった。この日は前回塩田さんが言ったことのもう少し実践的なことの講義だった。商談スペースはコンサート会場のように20席ぐらい同じ方向に向かって並べられ大方埋まっていた。バイトの人のための講義のはずなのだが席の半分ぐらいはこの前のときの背広の人間。なんでバイトじゃない人間が座っているのだろう。また座ってはいないが塩田さんも席群の後ろに立ちじっと講義を聞いていた。そのとき事務所にいた人間は男女比でいうと7:3ぐらいだろうか。みな20代だ。
「いいですか。君たちにやってもらう仕事は「集客」です。親や仲のいい友達など情で動いてくれる人に頼み込んで来てもらうようにしましょう。20才以上で定職がある人が条件ですよ。『来て見ていっぱい毛皮を着せてあげるから楽しもう。で、もし良かったら買ってください』と頼むのです」。
 広島からきたという営業部長の清原さんが講師。彼は車の営業でもやっていそうな30歳ぐらいの人。軽快なしゃべり方は確かにわかりやすかった。だがチーフたちの盛り上がり方はちょっと変だった。彼がでてきた瞬間にテレビ番組のCMあけのような熱狂的な拍手をしたり、ちょっとしたギャグをいうたびに「それ最高です」と合いの手を入れたり、「ハッハハハ」と笑ってみたり。大しておもしろいことは言ってないのだがリアクションに圧倒されてしまい、僕も同じようにふるまわないといけないのかと思ってしまった。
 それにしても僕たちが必要なわけがやっとわかった。労働力よりも実際は僕らバイトのコネが必要なのだ。僕らのコネを使って客を呼び寄せるということだろう。

 ときおり冗談を交えて一時間以上の講義を終えると次は電話かけ。11月13日からの展示会に向かってのアポとりだ。電話は各自の携帯電話。バイトは10人ぐらい。中国を3ヶ月旅行したいという大学生、新宿二丁目のゲイ、この前面接のときに見た小太りのOL、気の弱そうな暗い20すぎのの男など。各自、携帯電話を持ち、用意してきた名簿を見ながら片っ端に電話を掛けはじめた。
「もしもし俺、D。今度青山で毛皮の展示会あるんだけど遊びにこない? いっぱい毛皮着られて楽しいよ。お茶のみにきてよ」
 その場にいたバイトさんたちは講義の前こそ緊張した面持ちのものが多かった。しかし盛り上がりに刺激されたのか、講義の後はやる気に満ち溢れている者が多かった。僕は対照的にやる気なく盛り下がっていた。毛皮に興味のある他人に買わせるのがメインの仕事だと思っていたからだ。ところが知り会いや友達、親類を呼んで来て買わせるなんて。ちょっとそれは出来ない。もし友達に150万円の毛皮を買わせたとしたら、僕自身そいつととてもじゃないけどあとで会えなくなる。友達関係解消間違いなしだ。それはちょっと痛すぎる。しかもバイトだというのになんで自分の携帯を使わないとならないのか。事務所なら電話を用意すべきじゃないか。
 一気にやる気がなくなった僕は誰にも電話をかけられずにボーしてしまった。隣りは一生懸命電話かけをしているというのにだ。結局、自分の携帯をポケットに仕舞い込んだまま帰ることにした。つまり完全歩合制のこのバイトではお金を稼ぐことを放棄するということだ。ただ実際の商売のカラクリを知りたい。どんな手口で毛皮を買わせるのだろうか。これ以降は儲ける事は考えず潜入レポートを書くためだけにバイトを当日まで続けることにしよう。

前夜祭 

 事務所に通うのも慣れてきた11月9日、前夜祭という催し物が開かれた。事務所には総勢20人以上。そのうち僕と同じようなバイトの人間が10人以上。「イシタニカンパニー展示会前夜祭」とガラスの仕切りに大きく張り紙がされていて、商談ルームがパーティー会場になっていた。机が二つにかためられ、のり巻やピザ、ポテトチップスなどのバイキング。
 バイト同士もこの日はこの前の講義のときのような緊張感はなく、それぞれお互いの夢を語り合っていた。暗くて内向的な感じの32歳のヤセ男は、「喫茶店を開く資金を作りたい」と語り、元保母という小柄でスリム、切れ長の目のショートカットの女は、「とにかく稼ぎまくって買い物しまくりたい」とのこと。またボンボンタイプの男前の男子大学生は、「世界一周の船に乗るためまとまったお金が欲しい」。
 またチーフの夢の発表会があった。一人が「アメリカ西海岸にアメ車を売る会社を作りたいんだ」と夢を全員の前で披露すると、他のチーフたちは「すげー」「頑張れよー」「パチパチパチ」と4~5人が一斉に大声でこたえる。その発表が終わった後もチーフたちはうろうろと会場内を歩き回り缶ビールを配りまくったり、「ウォー頑張ろうぜー」と奇声を上げたり、女子チーフの一人にベタベタ触わりながら抱き着いたりと一歩間違えば乱交パーティーを始めてしまうような何でもありの雰囲気だった。

 宴会の熱気のまま、皆で一斉に机を片づけるとまた電話掛けが待っていた。この日あたりで客引きをしておかないと間に合わないので掛ける段取りを既に決めて来ていた。友達に誘いの電話をかけるのも誤解を招きそうだ。そこで、鉄人社のムナカタ氏に頼んで何度も掛けさせてもらうことにしていたのだ。もちろん彼には展示会当日にサクラとして来てもらう段取りだ。
「田中さん」「中山さん」と呼びかけの名前だけ替えて何度も彼の携帯や鉄人社にコール、またあるときはダイヤルせずに空で話す。塩田さんが電話かけの様子をときどき見に来るのでドキドキものだ。
「今度の土曜から月曜まで毛皮の即売会あるんだけどこない? これってイベントだよイベント。軽い気持ちでくればいいんだよ」


 が、何度もかけるので話題がつきてしまう。
「明日天気になるといいですね」「田中さん兄弟は何人ですか?」
などと無意味な言葉をムナカタ氏にしどろもどろでぶつける。だが事前に「何度もかける」とムナカタ氏に伝えていたので、僕の唐突な話に「何ですか急に」と驚きながらも切らずに話に長々と何度もつきあってもらう。あー、ばかばかしい。そして20分してから塩田さんに報告。
「初日午後2時に決まりました」最初から決まっていたというのにたった今、決まったかのように少し興奮して告げると、
「おーでかしたッ」
「この調子で頑張れよ」
 塩田さん他、背広のチーフたち数人が握手を求め、抱き着いてきた。さすがに胴上げはなかったが、一斉に僕の方に掛けよって来たときは、まるでベイスターズの38年ぶりの優勝のシーンのような興奮ぶりだった。チーフたちも酒がそれぞれ相当入っているから、態度が余計に大袈裟で歯止めがきかないのだ。


 ムナカタ氏以外には鉄人社の編集手伝いキツカワくん。もう一人は金利に詳しくてキャッチセールスに絶対騙されない鉄の意志の持ち主の先輩カメラマンのサカイさんの二人。パーティーに来る前に当日のアポはすでにとっていた。しかし適当に演技の電話をし、前の報告から20分ごとと時間を見計らって塩田さんに報告。そのたびに僕もチーフたちと一緒になって盛り上がった振りをし、僕の方から抱き着いたりもした。ここまで盛り上がっとけば怪しまれないだろうと思ってわざとやったのだが。
「お茶のみに来るだけでいいんだよ。来て見て一緒に楽しもうよ」
 教えられた言葉通りに皆のアポとりが続く中、僕は電話かけを一時間で切り上げ事務所を後にする。エレベーターに乗るとき事務所を見渡すと、飲み会を経て更に皆が「夢に向かって頑張ろうぜ」という方向で団結する雰囲気で包まれていた。前夜祭って結局、バイトの人のための懇親会というより熱狂させてバイトの人を場の雰囲気に巻き込んでしまおうという洗脳に近いものなのだった。ガンガンの音量のやかましいユーロビートと酒の勢いとで異常なほどの盛り上がりで、ほとんど新興宗教の集会のノリだったのだ。

実践練習
 展示会の前日の11月12日。午後8時にまた事務所に出向く。この日は翌日の展示会は当日どうふるまうかの実践練習の日だった。この日集まったのは実際に集客が出来た人だけが集まっているとの説明。世界一周を目指した大学生や暗い喫茶店の男は集客出来なかったのだろう。いなかった。
 来てもらった客を二つのタイプに分けて実践。一つは毛皮に興味がある好意的な客、もう一つは最初から疑ってかかっている客。それぞれどうやって落とすか。つまりチーフたちが白々しいほどに大げさに実践してきた雰囲気作り。これを僕らも大きな声や拍手で実践するのだ。当日の段取りは左記の通りだ。
・客が来ると小走りで入り口まで駆けつけ最高の笑顔で出迎え。  
・受け付けに荷物をすべて預けさせ
・会場で毛皮を物色している振りをしているクローザー(チーフ、接客役、セールスマン)に客を紹介。逆に客にチーフを紹介。
・三人で会場を回る。バイトがクローザーと客との潤滑油となるのだ。
・どんどん毛皮を着させてあげ、似合うものを見つけてあげる。つまり勝手に選ぶ。
・買う買わない関係なしにしばらくするとクローザーが「お茶を飲んでよ」と言う。この言葉が商談席に連れていくサイン。
・つかさず「そーだよ。お茶飲んでいきなよ」と同調し、決めてあげた毛皮を持って商談席に案内。


 そして、商談席に客が着いた時点からが実践練習だ。この時点で一切雑談禁止となるらしい。クローザー役に女性のチーフ、客役の男チーフ、ローン会社役にやはり男のチーフがつく。僕は当日やる役を2パターン練習するわけだ。
・席に案内し終わって、クローザーも着席。
・ある程度「似合う」と誉めた後、一度僕から「ところでこれいくらぐらいするんですか?」とクローザーに値段を聞く。クローザーは電卓をたたき、最初は168万円など定価を示す。
・そのとき僕が「もっと安くならないの。彼のために安くしてあげてよ」と客のためにクローザー相手に値引き交渉。
・「じゃあこれだけ下げよう」とクローザーが50万円値下げした額を電卓で提示。
・その途端に一転、「これ似合うんだし決めよ」と今度は客を押す。
・好意的な客はここで商談成立。ローンでOKなら僕が立ち上がりローン会社を大声で呼ぶ。「信販さーん」
・で客がローン用紙にサインし終わったら途端に雑談に切り替える。後悔させないために客の頭を切り替えさせるのだろう。
 疑ってかかっていてなかなか決めたがらないお客も基本的には同じ流れ。ただ、毛皮に好意的なタイプと違う所は気が向くように押したり引いたりと説得をするところだ。迷っている客にはもう一度着せて見て「すごく似合うよね」とほめてその気にさせるし、毛皮が気に入ってないお客には「○○くんなんかに毛皮なんかやっぱもったいないか。やっぱ買えないよね」と言い、悔しがらせたり。押し売りじゃなくて決め屋さんとして動くことが重要なのだ。クローザーと共同作戦で客を揺さぶる心理戦なのだ。
 しっかりとできた買わせるマニュアルに沿って、チーフの敦子さんらと練習を繰り替えす。自称元建設省のさばさばとした小柄なキャリアウーマン的な女性のチーフの敦子さんには売るのに一生懸命でないのがバレてしまうのか「もう少し積極的にやりましょう」と何度か注意を受けてしまう。しかし気を抜いたままだとその場を抜けられない。積極的に演技して2パターンやってみてやっと開放された。
「この通り動いていればきっと買ってくれるよ」と塩田さん。しかしもしそうなったら困る。当日はクローザーがどんな妙技を見せるのだろうか興味がある。しかし一方でマニュアル通りに動きつつ、どうやってツボを外すか、心配になってきた。本当に引っかかって三人のうち一人でも買ったらどうしよう。

展示会

 ふだん着慣れない背広に身を包んだ11月13日の金曜日。会場である青山の某ビルの1フロアを貸し切って開く毛皮の展示会にはわがイシタニカンパニー以外に毛皮販売の会社が数社、ローン会社。イシタニのメンバーは塩田さんほ前日の実践練習の研修に参加したメンバーとほぼ同じで20人ぐらいだろうか。控え室はカウンターの後ろ側にあり、折り畳み式の長テーブルと折り畳み式バイプ椅子。男は全員背広、女もビジネススーツとパリッとしている。隣とそのまた隣には別の会社の控え室で3、40人が密集して座り上は40ぐらいと年齢層は広く女の人数も多い。ローン会社はCMで名前をよく聞くような信販会社が3つ。控え室の手前、カウンターのすぐ後ろの部屋の角にFAX電話の前に一人ずつ座っている。正午のスタート直前には「いらっしゃいませ、いらっしゃいませ、いらっしゃいませ」「お似合いです」と気合いを入れ精神統一して展示即売会が始まった。
 といっても平日のその日は特に誰もすぐに来る様子はなくガンガン流れるユーロビートがむなしく場内に鳴り響いていた。僕らバイトは連れてきた友達をいかに説得して買わせるかが問題なのだ。自分の客がこなければ何もすることがないのだ。控え室で弁当を食べたり、とりどり飾られている毛皮を試着したりするしかなくとてつもなく暇だ。前日席がひどくて全然眠れなかった。その眠気が今ごろ襲ってきてとてつもなく眠い。
 この日来ていたバイトは3人。あとの2人は女の子。京大卒という27歳のポチャッとした明美さんとおっとり型のやはりポチャッとしたいかにもだまされそうな23歳の俊美。明美さんの方は「売りまくるぞ」と体からオーラが出ていて積極的。控え室でも名簿とにらめっこで携帯を使ってずっと電話掛けをしている。俊美の方は売ろうという意識よりも目の前にある珍しい毛皮そのものに興味があるようだ。会場に出ては毛皮を着て回っている。チーフたちはいろいろで、毛皮のハンガーの整理やローン会社との相談、今日来る客の名簿の整理と忙しそうにしている人もいれば控え室でボーとしたり雑談に励んでいる人もいた。
 奥行きの広い長方形の展示会場。入ってすぐのところにロングの毛の長い派手なイメージそのままの毛皮。値札を見るとなんと560万円。奥の左端のところにようやくレザージャケットやカシミヤのコート、男物の毛皮があるが、それ以外は女性用毛皮。元プリンスがステージ衣装にしそうな黒と赤のまだら模様や豹ガラのものもあるが少数。黒や紺の毛並みの短い短いカジュアルなものが多い。値段は毛皮が120万から180万円。レザーのコートなら安いだろうと思い値札を見てみると68万円。カシミヤコートがやっと25万円。一括で買える金額じゃない。どんな人間が来るのだろうか。果たして3人の男たちは似合うのだろうか?
 午後2時、ようやく僕の客が来た。編集部のムナカタ氏である。男は女のクローザー女は男のクローザーとつける事が多いらしく僕の担当は昨日の敦子さんだった。予定時間にアナウンスが流れる。
「イシタニカンパニーの松本さん、お客様がお越しです。受け付けまで来てください」
 握りこぶしを振りながら、白々しく小走りで受け付けのカウンターへ。
「今日は本当に来てくださってありがとうございます。今日は楽しんでくださいよ」
 ムナカタ氏に元気そうに言うも、彼はサクラなんだから、あまりやる気がでない。
 段取り的には雑談して場を明るく盛り上げなければならない。がムナカタ氏に昨日の練習の段取りをすでに教えてあるのだ。彼は最初から手口がわかっているのである。そのせいか僕の演技の雑談は空回り。すぐに僕は素に戻りコソコソ話で打合せを始めてしまう。
「これ何分ぐらいで終わるかな」(ムナカタ)
「ちょっとわからないですけど長引きそうですよ」
「じゃ場内の写真撮っておくよ」(ムナカタ)
「今チャンスですよ。誰も見てないですよ」
 原稿に添える写真をムナカタ氏が撮ったあと、男物の毛皮が並んでいる会場の奥まで案内。毛皮を物色しているふりをし待ち構えていた敦子さんに紹介すると、ハーフの紺色毛皮コートを皮切りに、レザージャケットやカシミヤコートを僕に手伝わせてムナカタさんにとっかえひっかえ着せていく。
「あーらお似合いじゃないですか。でもカシミヤはGパンには会わないわね。このリバーシブルのジャケットはどう。ウーンやっぱりこの毛皮が似合うわね」(敦子さん)
 紺のハーフの毛の短いコート。地黒だがスリムでカジュアルな彼に似合わないことはないが、別に格好良くもない。が、168万円も出して買わせる理由など何もない。似合う似合うと褒めちぎり気分を高揚させて値段のことをわからなくさせ買わせる方向へと持っていこうとする敦子さん。が、さすが百戦錬磨の鉄人社編集部。
「いや、そうですね」「似合いますかね」「でも、時間がないですから、じゃ」
 冷淡に言い放ち、彼女の言葉を軽く退けるとさっさと会場を出ていってしまった。
「なんか逃げるように帰っていったね」(敦子さん)
 ムナカタ氏の方が一枚上手だった。
 二番目は午後4時にやってきたカメラマン、サカイ氏だ。金利に詳しい彼はムナカタ氏よりさらに上手だった。彼女の言葉をかわすどころか敦子さんを手玉にして遊んでしまったのだ。
「敦子さん、紹介します。僕の先輩で畳屋の中谷さん(偽名)です」
「中谷さん、毛皮に詳しいチーフの敦子さんです」
敦子さんは「今日は色んなのを着ていって下さいね」と言うとレザージャケット、カシミヤコートに毛皮のコートととっかえひっかえサカイ氏に着せ始めた。底がすり減り汚れたナイキの運動靴に毛玉だらけのミチコロンドンのトレーナーと服装バラバラで腹が出て不格好なサカイ氏。だが敦子さん彼に168万円のムナカタ氏にも着せた紺色の毛皮のコートを着せる。男物だとレザーやカシミヤよりもずっと高い毛皮を買わせ大きく利益を得ようということなのだろう。毛皮を着たサカイ氏ははっきり言って「太ったつんく」って感じでまるで似合わないのにだ。それでも敦子さんはサカイ氏を褒める褒める。
「体中色んなブランドで固めてオリジナルって感じですよね」
「シックでお似合いですよ」
僕は笑いそうになるが僕も仕事上しかたなく相づちをうつ。そして、
「じゃお茶でも飲んでいってくださいよ」と敦子さん。これが商談席へのサインだが、事前に事情を説明してたので彼もわざとはまってくれすんなりと移動。
「これってデパートに並ぶと2倍3倍と値段がつりあがっちゃうんですよ」(敦子)
「じゃ何で安いの?」
「これにあとでブランド名がつくからですよ」
「でもブランド名って大事だぜ。それにナイキとミチコロンドンみたいにバラバラの服装にはあわないよ」
 サカイ氏は商談席につくと余裕で敦子さんの商法をかわし逆にツッコミを入れ始めた。 値札は黒い字で168万円。一度、客と一緒にクローザーに値段交渉。すると予定通りに50万円値下げ。そのとき敦子さんの電卓はこちらに見えないように隠して打っていた。サカイ氏が見せるように要求すると「嫌です」。そこでピンときた彼がシャシャッと暗算する。それによると50万円引きで118万円だが、5年ローンだと金利がすごく、計算したら支払う額は180万円以上にもなることがわかった。だから50万円を引いても十分儲けが出るのだ。ただ客はそれを知らないから「50万円安くなった」という事実に喜び、つい思い買ってしまうのだろう。
ただしサカイ氏は上手なのだ。敦子さんを更に困らせる。
「金利がすごいけどこれって30%にもなるんですよね。こんな金利じゃ買えないな」
 そして彼は畳屋(その場ではそういうことにしていた)という個人事業主(カメラマンだから結局同じだが)ということを利用し、金利の低い国のローンを利用する方法はどうかと提案。
「うちの品物は今、会場にいるローン会社でないとだめなんです」
「そんな金利高くちゃオヤジにしかられちゃうよ。国から借りたいから見積書出してよ」
「うちはそんなものは発行してません」
 証拠が残ると何かまずいのだろうか。まあ50万円下げて安く感じさせるがローンにすると定価よりもずっと高くなり、その差額をイシタニとローン会社で山分けするのだろうそういうカラクリなのだろう。
「こんな高い買い物たぶんオヤジに怒られちゃうけど、相談してみるよ」とサカイ氏は30分ぐらいして、それまで金利のことをつついていたのに一転。懐柔策を提案し、商談成立をやんわりとかわし、帰って行った。
 会場の端の窓際には4人1組の商談テーブルがズラッと10以上ならんでいて、数時間に一組の割合いで商談席に入っていた。午後1時すぎに大金持ちの大学生が一時間以上もの間話しこんでいたが学生ということで親に相談して考えるという結論で買えず。また、偶然入ってきた香港人の中年女性は興味を示したが「香港では暑くて着られない。だから買わない」とのことで商談席にも入らず帰っていっていた。結局、20代後半の女性一人だけがローン用紙にサインし購入しただけだった。一日二億円はハッタリなのだろうか。すこし疑問に思えてきた。下のフロアーの化粧品売り場には朝から数百人の行列が出来るほど。だがここは非公開のせいかあまりにも客そのものがこない。開始してから5時間以上経っているというのに合計10人も来ていない。それに担当の敦子さん、思ったほど口がうまくない。この調子だと最後にくるキツカワくんも買うのを余裕で拒否することが出きるんじゃないか。しかし少しぐらいはヤバイ目を見てみたい。
 そんなことが頭によぎったのが良くなかった。午後6時にやってきた編集手伝いのキツカワくんちょっとまずい展開へと引きずり込まれてしまった。理系のマニアックな人間って感じの彼は170センチぐらいでスリム。敦子さんは2人同様に彼をあおる。
「やっぱ似合うわよ」「これなんかいいわよね」
 毛皮ハーフコート、カシミヤ、レザー。彼は苦笑いしながら、
「結構ですよ」「本当に似合うのかなー」「ウーン」
 固く閉じていた心が褒められ続けることによって開いたのか、だんだんまんざらでもない様子に変わってきた。着せて着せてどんどんと客の心を高揚させるのだ。敦子さんが見ていることもあるし立場上僕は「そうですね」「似合うよ」と合いの手を入れるしかなかった。10分後、僕はレザージャケットを持ち彼を商談席へ。表がレザーで裏が毛皮の86万円のジャケットだ。
「こんなチャンスはないのよ。似合ってるじゃない。買うわよね」
「でも、これ高すぎますよ。車買えてしまうじゃないですか」
「これ買うとね30年は持つのよ。その間にどれぐらいジャンパー買うのよ。そう考えると安いでしょ。買いだよコレ」
「いやーでもインターネットで電話代毎月1万円は使うんですよ」
「じゃそのお金をローンに回せばいいじゃない」
 敦子さんのもの言いはああ言えばこう言い、こう言えばああ言うといった感じ。値札は赤札で値引き不可能の品。敦子さんにはこの商品が値引き不可なことなんて関係なく彼を追いつめていく。よく考えればむちゃくちゃなへ理屈だとわかるのだが、ユーロビートの流れる中、彼が考えるだけの余裕は確実になくなっていたようだ。
 45分ぐらい経ち、ますます追いつめられる彼にまずいと思った僕は「あ、電話なってる」とアドリブ。本当はなっていないが尻ポケットに入れていた携帯がバイブでなっているということにしてその場を離れ、会場の隅でムナカタさんに電話。
「今、ちょっとピンチです。キツカワくんをその場から開放するために電話してやってください」
 席にもどるとますますペースは敦子さんのものになっていたが数分後、
「プルプルッ、プルプルッ」
 呼び出し音がプッツリと商談席の空気を変えてしまった。
「ちょっと仕事の呼び出し入ったんで帰ります」
なんとか彼を解放することが出来た。最初の2人が手強すぎたとはいえ敦子さんもプロなのだ。なめなきゃよかった。あー危なかった。彼をエレベーターで返しながら「彼が携帯を持っていてよかった」とホッと胸をなで下ろした・・・。

 実際に買わされていくプロセスは見ることが出来なかった。しかしキツカワくんがはまりそうになったのを見てちょっと気の弱い人なら買ってしまうんじゃないか、と思えた。質のいいものだしちゃんと着られるものなのだ。この商売そのものは法律には引っかからないだろう。しかし額が額である。1回引っかかったらそこらのボッタクリの被害額じゃ済まないのだ。クーリングオフも何か方法を使って出来ないようにしているのだろう。果たして買ってしまった人はこの毛皮をどうしているのだろうか。 約5年間背負い続けるローンのことを考えると恐ろしい。それにしても夢とか目標と釣り上げといて友達を紹介させる業者は悪どい。それに夢とか目標をその後やってくる友達の不幸を踏み台にして、かなえてまでうれしいのか。それとも友達もただの買ってくれる人だと割り切っているのか………。


 その後塩田さんから「これからも一緒にやっていこう」と直筆のはがきが来たり、ときどき携帯に電話がかかってくる。友達を裏切れるほどすさんだ人間になったらやってみてもいいかな、そう思いながらも、「また暇になったらお願いします」とやんわり誘いを断っている。

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