「一夜限り」が生み出させた刹那的な時間
昨日、Zepp Haneda(TOKYO)で行われたLIVE OF LAZWARD PIANO -青い旗-から一夜明け、帰阪の新幹線の中で「 #LAZWARD10th青い旗 」のタグをエゴサして片っ端から読み漁っていました。
LAZWARD PIANOというものが始まって10周年ということで、1月に2枚組のベストアルバムリリース、2月に一夜限りのアニバーサリー公演を行うということは去年の中頃くらいにはもう僕も聞いていました。
秋口くらいからプリプロ作業(レコーディング前の各曲の情報整理・仮録音のような時間です)が始まり、そこからアルバム収録曲のレコーディング(実に32曲)があり…
(過酷を極めたレコーディング風景はこちらの記事をぜひ)
その後もリリースイベントや配信イベントを毎週のように重ね、昨日のライブをもって一区切り。
ベストアルバムリリースと昨日の公演に向けてのこの半年間の一区切りというのもさることながら、10年間の一区切りという側面もあると思います。
なので昨日の全23曲のセットリストはLAZWARD PIANOとしてのこの10年のハイライトのような中身だったと思いますし、ライブの雰囲気もある意味では原点回帰だったのかもしれません。
そんなライブが一夜明けての今日なんですが、正直ほとんど覚えていないというのが正直なところです。
それには「一夜限り」というのが大きく関わっていて、たとえば今までみたいに全国数カ所を回るツアーのような形だったら、もちろんひとつひとつの公演は全力で演るんですが、とは言えどこか先を見据えつつというかツアーファイナルに向けてどんどん育てていくという側面はどうしても出てきます。
仮に10箇所14公演という予定がある場合の1公演と一夜限りの場合の1公演ではやはり意味合いは変わってきます。
ツアー的な形の場合は「次がある」という事実がある以上、その公演を終えてみての自分たちの手応えや改善点なんかを次の公演に活かすみたいな考え方はどうしても生まれてきます。
それこそ大阪プペルで19公演やった時も、初日の幕が開いてからも日々ブラッシュアップされたり細かい演出が変更されたりを繰り返して千秋楽に向けてどんどん変化・進化していきました。
「その日のその公演にしか来ないお客さんが居る」という事実があることくらいは当たり前のように熟知していますが、やはり長い期間の公演だったりツアーだったりとなるとひとつの線として考える部分はどうしたって出てくるわけです。
それに比べて「一夜限り」は次への改善だとかブラッシュアップだとかそんなものは存在しないわけなので、うまくいこうがいかなかろうが、噛み合おうが噛み合わなかろうが、ミスりまくろうがなんだろうが…
「不完全燃焼で終わる」ということが何よりもしょうもないことだと思います。
全身全霊、心身の底から余すことなく全力で全てを曝け出して己をすっからかんにするという、本当に刹那的なライブをするつもりで挑みましたし結果そういうライブだったんだと思います。
そもそも僕は音楽・エンタメを続けるという大きな枠組みにおいては刹那的な考え方はどちらかというと否定的で、「10年後を見据えて逆算して今何を頑張るか考える」みたいな考え方のタイプです。
が、昨日の一夜に関してはあと先なんか全く考えてませんでしたし、ノンストップで21曲(+2曲)やったわけですがペース配分もへったくれもなかったと思います。
ここで冒頭の話に戻りますが…
そんなわけで「ほとんど覚えてない」という状態なので、「 #LAZWARD10th青い旗 」のタグがついたファンの方の投稿を読み漁ることで、どんなライブだったのかを改めて知るという感じです。
「なるほどそんな感じのライブだったのね」と驚くほど客観的に読んじゃうものもあれば「そんなことした?」って思うものもあれば「あ〜確かにやってたわ」と思い出させてくれるものもあり。
それでいかに刹那的な時間を過ごしていたのかというのを改めて自分ごととして実感させていただいてますということをこの場を借りてお伝えしたかったので、今日はそのことを記事にさせてもらいました。
また今日からもエンタメ道を驀進したいと思います。
では。
[P.S.]
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