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けじめの一日

22日に𝕏でこんなポストをしたんですが…https://twitter.com/nishimura_piano/status/1771084124461166617/ 

このポストの結びで「また明日書きます」とか言いながらライブ復帰とかあってすっかり書きそびれていたので、改めて今日書きます。

22日の事になりますが、元日からずっと避難所として住まわせていただいていた山王小学校の避難所閉鎖式に顔を出させてもらいました。

時間にして30分弱くらいの事でしたがそのために帰ったという感じです。
(もちろんせっかく帰ったので少しばかり向こうでも時間を過ごしましたが)

避難所として閉鎖するからといってイコール避難者がゼロになったというわけではなくて閉鎖するまでまだ38人の避難者の方がいらっしゃったわけですが、ここが閉鎖になるということでその方々は同じくずっと避難所として稼働している別の体育館に移るか(もしくはどこかに身を寄せるか)これを機に自宅に戻るかということになります。

ここでちょっと余談ですが、北陸新幹線の敦賀〜金沢間が延伸して初めて大阪から七尾まで帰りましたが、従来乗り換えゼロだったのが2回に増えるとか運賃が上がった事とかいろいろ実感しつつも、車内にコンセントが無いうえに敦賀から金沢まではほぼトンネルで電波もなかったサンダーバードに比べてコンセントも電波もあるっていう恩恵もあって、個人的には延伸に関する帰省の影響はプラマイでややプラスの印象でした。
(※余談終わり)


というわけで改めて閉鎖式の話。

避難者の方々は前日までに別の避難所へのお引っ越しは終えられていたので閉鎖式の日は避難者の方の列席は本当に数人で、どちらかと言うとずっと避難所運営に携わってこられた学校関係各位・行政の方々・ボランティアスタッフ各位の面々が中心で、広い広い体育館で30人にも満たない実に粛々とした空気で執り行われました。

正直に書きますと、その閉鎖式の規模感や30分弱(数名の方のご挨拶)という時間を考えると、自分のスケジュール面を考えた時にそのタイミングで七尾に帰るというのはタイパ的にはなかなかの比重であります。
(往復8時間くらい)

ただ、2月の中旬くらい(通水したあたり)から大阪でガッツリ仕事を再開しつつも、心の中には山王小学校のことが常に気がかりとして在って、やはりどういう生活を強いられているかというのは僕も身を持って知っていることだからこそ「今こうやってこっちで日常を過ごしてる間も今なおあの人たちはあそこで変わらず避難所生活・運営をされてるんだよな」という気持ちはどうしてもずっと離れなかったのはリアルなところ。

別にそこに引っ張られてどうこうってわけではないんですが、やっぱりデュアル状態でずっと心情として燻り続けていたのは事実としてあったわけでして、そんな中わざわざ僕に避難所運営の責任者(山﨑さん)から直々に避難所閉鎖式のご連絡が届いた。

「来てください」という意味合いの連絡ではなくて(大阪に戻っているのもご存知でしょうし)お知らせまでにという旨の連絡だったのですが、閉鎖を迎えるにあたって僕のことを思い浮かべてくださってわざわざ知らせを頂いたこと、その真情はやっぱり嬉しかったです。

「今もまだあそこで頑張ってる人たちが居るんだよな」っていう燻ってた気持ちとその連絡を頂けたことが相まって、とは言えそれなりにバタついているタイミングでもあるのでさすがに数秒は迷いましたが、なんとなく自分の心情にもひとつのけじめをつけるという意味でもそこに出席することを決めました。

たかが30分弱されど30分弱ということでその時間を過ごしたことで一つ自分の中でもスッと消化できた感情みたいなのがあって、タイミング的にも翌日がライブ復帰の日だったこともあり、何度も同じ事を書いて申し訳ないですが本当にひとつのけじめがついたという感じ。

もちろん七尾の復興はまだまだである。
というよりも復興の前にまだ復旧段階でしかないところも多々ある。

せっかく帰ってきたのでって事で、このnoteでも度々書かせてもらってテレビの密着でも取り上げてもらった一本杉通りに久しぶりに訪れてみたけども、元日に全壊した家屋たちはその時と変わらぬ姿のままで横たわったっていたし、和倉温泉街も変わらずゴーストタウン化していた。

ただ、前回帰ってきた時にずっと手付かずのままだった七尾駅のホームは工事が着工されていて、電車を降りて真っ先にその光景が飛び込んできたので確実に進んでいるという実感もできた。

駅前の商業施設(パトリア)の中で屋台村をやっていたので少し寄ってみたら、たまたまスギヨカニカマフェアみたいな催しをやっている日で、スギヨの社員の方々とも対面できていろいろお話もできたし、その日は平日だったにも関わらずたくさんの人で終始賑わっていて、そこに関しては「復興」という言葉がしっくりくる空間だった。

ちなみにパトリア内の催事を取り持ってらっしゃる方も僕のことを存じてくれているので(やっぱり音楽室ライブのメディア効果がすごい)、会話の中でぜひイベントをという話にも膨らんだので、これはこれでまたいずれ何かしら復興のお手伝いのひとつとして繋げていきたい部分。

ずっとあっち(七尾)に居た時は毎日がその状況だったからアレだけども、こっち(大阪)に滞在する頻度が増えてきた今、やっぱり帰る度にギャップを感じることが多くなってきた。
報道は日々確実に減っていくからこそなおさら。

それはもうしょうがないと思う。
今までの歴史を考えても。

「そんなことよりもっと被災地の報道を!」と聖人君子のごとく言われてる方をたまにSNSで見かけるけども(そのお言葉は素敵です)、そうはいっても人間の心情っていうのはどうしたって3ヶ月経った被災地よりも、昨日今日出たホヤホヤの元通訳の7億円というパワーワードに目が奪われるのは普通だと思う(それは被災地の人だって釘付けになるニュースだと思う)。

なのでこうやって引き続き個人レベルで地道に発信を続けていくことがやっぱり大切なんだろうと思います。被災した人間の使命の部分もあるかと。

という気概はずっと持ち続けていますしそれはこれから生きていくうえでの自分の矜持のひとつになった部分でもあります。

が、話を本筋にグイッと戻すと今回閉鎖式に参列させていただいたことで、ひとつ"もわっと"した何かしらにしっかりケジメがついた部分があるので、改めて自分の持ち場で自分の立ち位置で余す事なく大見得を切っていこうじゃないの。

みたいな話です。
以上です。



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