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軽いノリで、note始めました。

皆様、こんばんは。北海道の海を守る「西村組」の新卒、1年生の木村 宏海です。

まずは、このnoteを読んでくださっている皆様、ありがとうございます。このタイトルにあるように、軽いノリで、noteを始めました。きっかけはうちの上司とのこの会話からです。なので、これからどのくらいの頻度で、どんなことを書いていくのかは、正直わかっていません。でも、「西村組」について、現場について、私について書いていければなと思っています。

私の上司でもある幸志郎さんみたいに、第1回目を書きたいところではあったんですが、それは出来ないので、結構ちゃんと私の話をしたいと思います。

1.木村の基本情報

株式会社 西村組の木村 宏海と言います。今年の4月に入社しまして、社会人歴20日のピカピカの1年生です。私の働く西村組は海洋土木の会社です。詳しくは、私の上司の幸志郎さんのnoteこちらをご覧いただけると嬉しいです。よろしくお願いします。

さて、私の名前の由来からちょっとお話します。私は「宏い海のように」という意味で名付けられました。宏という漢字は規模や度量が大きいという意味で、海も広いですよね、要は私の名前は「ひろい」という意味の詰まった名前ですね(?)。実は小学生のときに、名前の由来を聞く授業があり、パパに聞いたところ、「美しいにして名前負けしたら困るだろ?笑」といじられ大泣きした過去があります。一時期、自分の名前が嫌になったくらいパパに意地悪されました。でも、私のパパもママも海が好きだったり、私自身も海が好きだったりで、やっぱり自分の名前が好きです。あ、最近知ったんですが、宏っていう漢字は、ひろげるという意味があるみたいです。そんなこんなで、さらに好きになりました。

小さい頃から、よく「変わってる」と言われ続けていました。自分じゃわからないのが困るのですが、「変わってる」の声が多かったベスト3を挙げるとすると、3位「高校1年生から大学院の1年生まで夢が変わらなかったこと」、2位「髪を伸ばす実験をしていたこと」、1位「大手ゼネコンの選考を辞退したこと」ですかね。1位、3位については夢や西村組との関係があるので、一旦置いておきます。2位は私の性格に関係があるのですが、とにかく実験が大好きなんです。サイエンティフィックなものも好きなんですけど、頭が悪いような自分を実験台にしたものもよくやります。一応、髪の毛の推移の様子を下に載せておきます。笑

左から2020年4月。本当は3月に切ったのでもっと短いです。笑
今年の3月までで約30㎝伸びました。そして、バッサリ切りました。
ぜひ、ロングとショート、どちら派か教えてください。笑

これだけ見ても、きっと「変わってる」なんて思わないと思うんですよね。えぇ、私はよくいる普通の人間です。

2.木村の夢

小さい頃からのは、「世界を変えること」です。それは今も変わりません。パパやママにはちゃんと言ったことがなかったのですが、現実性がないことをわかったうえで、ずっと変わらずに「世界を変えること」です。「〇〇になって、世界を変えたい!」ではなく、「世界を変えるために、〇〇になる!」です。私にとって、手法は問わず、世界を変えることに意味があります。本当に小さい頃は、かっこいいからという理由だけで、世界を変えたかった私ですが、今は私の生きているこの世界が好きだから、もっと素敵であったら嬉しいという理由だけで、もっといい方向に変えていけたらなと、密かに目論んでいます。一生を懸けて、夢を叶えていきたいと思います。

3.木村の手法

ここでは、基本情報でも言っていた3位の「高校1年生から大学院1年まで夢が変わらなかったこと」の話、世界を変えるための手法の話をしようと思います。大学院1年まで、実は、研究者になるつもりでした。高校1年のときに出会ったメタンハイドレートに魅了されて、メタンハイドレートを使えば、日本ないし世界を変えられると、思っていました。だから、ガスハイドレートの研究者になってやろうと思い、大学を選びました。大きい声では言えませんが、自分がこれから入る大学の学科が土木であることなんて知る由もありませんでしたし、研究室で大学を選びました。ずっと研究者になると豪語してきた大学・大学院の約5年間、教授たちも知ってるくらいでした。

あれ?でも、木村って今、海洋土木の会社にいるんでしょ?

①どうして研究者になるのをやめたのか?

そんな声が聞こえたので、お話します。大きく分けて理由は2つです。

・大好きは世界を変えられるのか?
学部4年のときに、北極海調査に行きました。カナダの沿岸警備隊の船に乗り、約1ヶ月の間、研究活動に勤しんでいました。専攻であるガスハイドレートではなく、サイドワークである雪の研究のために船に乗っていました。サイドワークを始めた理由ですが、研究者としてのスキル向上のため、奨学金の免除のため、いろいろな理由があります。でもやりっぱなしではなく、ちゃんと論文化しています。もしよろしければ、こちらをご覧ください。あ、もちろん、本業であるガスハイドレートも論文化しています。

昔のTwitterのアイコンの元画像。ガチ寒かったです。小指は基本立ってます。


話が逸れてしまいましたが、北極海調査の船では、カナダ・アメリカ・日本の極域の生物や気象、海氷で有名な研究者の方々や技術者の方が集まっていました。彼らは研究の成果のために船に乗っていて、そこに人生がかかっているわけです。生きるために研究をしていて、そのうえで、自分の興味を追いかけているんです。船の上や、カナダの有名な研究所の見学、そして日本に戻ってきた1年間、ずっと考えていました。「研究や実験が大好きだけで自分がこの世界で生きていけるのかな、成果を出せるのかな」「大好きだけども、本当に世界を変えられるのかな」と。研究者の世界はかなり狭き門です。まして、私が生きていこうとしていたガスハイドレートや雪の研究者なんて…。ニッチすぎました。結論がはっきりでないまま2つ目の理由にぶつかります。

・お金の問題
大学院1年の春。パパから「会社を辞めるつもりだ」と言われました。まじかよ。その一言しか出てきませんでした。パパは板金屋さんに勤めていたのですが、上司のパワハラを受けて、会社に告発したにもかかわらず、何も対処されなかったんです。そんなパパが選んだ道は私が大学院を卒業するまでは我慢して働くというものでした。「はやく自立しなきゃ」そう思いました。

そんなこんなで、研究者の道は諦めたというか、研究者になるという手法は捨てました。覚悟もお金も足らなかった木村でした。もっと私が優秀であれば、別の方法もあったのですが、残念ながら。笑

②どうして土木を選んだの?

これも理由は2つです。就活をするうえで、自分の持っているスキル、資格、大好きなこと、譲れないもの、一生で忘れられなかったことなどを考えてみました。

・専攻は違えど、土木の学科に在籍していた
大学・大学院の6年間、土木の学科に在籍していたこと、JABEE認定大学に在籍したことが、私の背中を押しました。

・一生忘れられない景色
誰にでも一生忘れられない景色ってあると思うんです。それが学部3年時、中国でみた2つの景色です。
1つは言葉が出ないくらい綺麗な斜張橋。私にとっての中国の思い出はこいつに占有されています。笑

斜張橋かな。たぶん、斜張橋。もっと実物は綺麗です。

2つ目は、車に乗っているときにたまたま見えた工事の様子。作業員さんがヘルメットをかぶっていない中で、仕事をしていました。ずさんな仕事しているんだなと思いました。
両方とも一生忘れられない目に焼き付いてる景色です。両方の共通点が「土木」でした。これをきっかけに、自分の今までの思い出を考えてみました。どの思い出にも「土木」の建築物がかかわっていました。つまり、言い換えると、「土木」って誰かの思い出に添えてあるものなんです。誰かの笑顔や思い出に自分が間接的にでもかかわれて、地図に残るなんてかっこいいんじゃないかと思いました。

はい。ということで、土木の世界へ、足を踏み入れることを決意しました。

4.木村の決意

やっと手法が定まり、ここからどう世界を良くしていくか、変えていくか考えました。まず、着目したのは土木業界の問題。いろいろ挙げられますが、中でも「3K」に注目しました。皆様は「3K」って聞いたことあるでしょうか?

想像してみてください。今、あなたはトンネルを掘る工事をしています。
今日の工事は朝7:00から始まり、現在の時間は20:00。きっと、「きっつ」と思うでしょう。つまり、「きつい」です。
トンネルの中は、暗くて、足元が悪いです。ちょっとした石の段差につまずき、転んでしまうかもしれません。そこで出る言葉は、「危な」。つまり、「危険」です。
そして、ついに転んでしまったあなたは、立ち上がり、何をしますか?手を叩いて、服をほろったりしますよね。そのとき思うんです。「きったな」って。そうです、「汚い」です。

これが、「3K」です。「きつい、危険、汚い」。今、上で書いたものはイメージしていただくために、かなり、かなり、悪く書いています。笑
実際は、そんなことありません。確実に西村組ではありえません。完全週休2日向けて、現在準備しています。天気が係わってくるため、絶対に土日休みっていうのが出来るわけではないのもないのも現状ですが…。現場の危険箇所にはバリケード設置、作業員さんへの周知をしていたり。きついや危険の対応はたくさんあります。汚いに関しては、私もよく作業着を汚しますし、裾の中に小石がたくさん入っていたりします。笑(最近はやり切った感を感じます。笑)でも、資材が現場中に転がっていたり、使用機材が転がっているなんてことはありません。

正直、私自身も西村組に入って、現場に出るまで「3K」のイメージがずっとありました。実際に働いてみると、イメージは全然違うんです。
どんな素敵な仕事でも、イメージが悪ければ、憧れませんよね。

ということで、決意しました。

『土木業界の「3K」のイメージを払拭しよう。  
    子どもたちが「土木ってかっこいい!」って憧れて、
 「働きたい」と思える世界に変えよう。』

5.木村の就活

こういう思考回路を経て、やっと決意が固まった大学院1年の12月。そして、3月になり、就活解禁。私は3社のみ、応募をしました。
1社目は中堅ゼネコン。2社目は大手ゼネコン。3社目は西村組。1社目はお恥ずかしい話、ESで落ちてしまいました。2社目の大手ゼネコンは選考辞退しました。選考辞退をしたときが人生で一番、「変わってる」「バカだ」「もったいない」と言われました。理由についてはこんな感じです。

大手ゼネコン選考辞退。面接官に夢を語ったとき鼻で笑われた。心がすり減ってくのを感じた。でも選考辞退したら、来年の後輩に迷惑がかかるかもしれない。わざと落ちようか。本気で悩んだ。結局選考辞退した。本当の理由は言えなかった。本気で夢を叶えようとする人を応援できない会社で働けませんと

https://twitter.com/Nishimuragumi_H/status/1450032656507305990

正直、私にとってネームバリューは関係ないよなと思い出しました。夢を叶えるのが大優先ですから。

そして、西村組。選考辞退をしてから、最終面接に挑みました。落ちたらどうする気だったんですかね。自身があったわけでもなく、バカですね。

6.木村と西村組

どうして、こんなに覚悟を決めれたのか。私には西村組で働きたい理由が3つありました。

・やっぱり、研究が大好き
研究者の道を辞めたと言え、やっぱり研究が大好きで、やりたくて仕方ない私。
実は西村組は中小企業では珍しく、研究活動にも力を入れています。地元の大学や企業との研究をすることで、技術者である私たちが作り手の視点を学んでいます。そして、地元で暮らす人の声を聴いて、さらなる豊かさを築いています。変わろうとしていく西村組だからこそ、自分がしたいことに前向きに応援してくれます。研究に対してここまで想いがある会社で、自分のしたいことを本気で応援してくれるんです。

・海が好き
名前にも海が入っているし、自分の楽しい思い出の中には海が係わっていました。そんな海に一生携われることも決め手でした。

・人に惚れた
次期社長でもある西村幸志郎さん。現社長の西村幸浩社長。いろんなことをまず考えてみなさいと言ってくる上司。やたらピンクを着せたがる上司。お兄ちゃんみたいな先輩。インターンや会社の見学だけでもたくさんの人と関わってきました。気がついたら、惚れていました。

7.最後に

こんなに長くなるとは思っていませんでしたが、ここまで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。
西村組の木村について知っていただけたでしょうか?めちゃくちゃ、冗長な文章だったかもしれません。写真も途中からなくて、飽きてしまったかもしれません。軽いノリで始めたくせに、かなりの分量ですよね。笑
それでも、時間をかけて読んでくださった皆様が大好きということで、第1回を閉めます!

では、また第2回でお会いしましょうね☆

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