【狭間に揺らぐ影法師】
…かあん、…かあん、
法堂から響く殿鐘の音が、夕闇の迫る僧堂に木霊する。
堂内を満たすのは、中央に祀られた聖僧像の、燭台が放つ幽かな灯り。虚ろに照らし出される影は、墨染の袈裟に身を包んだ、無数の修行僧だ。それらは肘を横に張り、掌を胸の前で組んだまま、微動だにしない。
私は同じように整然と立ちながら、左隣に立つ僧に視線を向けた。
一昨日までは、そこには常信が居た。憔悴しきった表情で、私と共に立っていた。
今、その顔には暗く影が落ち、判然としない。
僧堂は、影法師で満ちていた。
鐘が打ち上がり、影が一斉に動き始める。衣擦れの音。足音は立てず。一列に、狂い無き足取りで、法堂への階段を登る。
私も続く。回廊から覗く中庭では、紅葉や桜、榊などの花が不自然に咲き誇り、傾ききった夕日を受けて、鮮やかな茜色に輝いている。
同一ではないが、変わらぬ日々。
いつからだったか。
昨晩の問いかけを反芻する。
法堂へ入る直前、私は横目で列の後尾を見遣った。
新たに上山した男。頑丈そうな四角い顔に、筋骨逞しい体つき。表面積に見合わぬ小さな眼には、動揺が未だ垣間見えた。
彼が現れたのは十日ほど前だ。小食のさなかに、山門の到着板が時期外れの音を響かせていたのを覚えている。
昨日、彼は旦過寮を明け、衆寮に配役された。私は、彼とまだ「目が合う」ことに安堵した。そしてそれは、彼も同じようだった。
その晩、私達は密かに筆談を交わした。
彼は秋田県の出身で、名を泰厳といった。事を理解できていないのは私と同じだが、彼には何か気付きが見えた。さらにどうやら、私の名に覚えがあるようだった。
『良寛さん 信和 という新到はおりませんか』
顔を強張らせた泰厳が、剛健な筆致で綴った。
聞き覚えがあった。雑記帳の頁を戻す。前回の転役告報の走り書き。私が指を滑らせた、その中程。
“直歳寮、直行、信和“
手を止める。指先に、泰厳の視線を感じる。
ぎしり、と歯の軋む音がした。
【続く】