やめたいと思った数は、乗り越えてきた数
突然だが僕は人の愚痴を聞くことが多い。
なぜその機会が多いかは謎だが
おそらく僕はあんまり人の話を
頭ごなしに否定することがないから
心のわだかまりをぶつけやすいのだと思う。
そしてもう一つ。
僕は自己肯定感というやつがどうやら高い。
どのくらい高いか。
僕はプロント池袋西口公園店というカフェで
バイトをしているのだが
そこでいそいそとカフェラテを
作る僕に対してお客さんから
「すごいわねその手で」
と言われたことがある。
それに対して
「そうなんすよすごいんすよ。
ものは使いようですよね」
と返すくらいのレベルのものは
持ち合わせている。
ちなみにお客さんはめっちゃウケてた。
ラッキーである。
僕は健常者と同じように扱えとか
特別扱いするなとかそういった考えは特にない。
それは健常者とはスタートラインが
わずかばかり違うという自覚があるからだ。
だからちょっと後ろから
スタートしているこの手で
業務を普通にこなせるのは
すごいことだと思う。
僕は自分に甘いとも言えるが
自分を認めることができる。
そんな人間だ。
その上で少し昔話がしたい。
とある冬、とある居酒屋にて
僕の旧友はビールを片手に
仕事の愚痴を一通り漏らした後
お決まりのフレーズを繰り出した。
「仕事辞めたい」
彼女がそんなことを言うのは
この日に限ったことではなかった。
口を開くたびに辞めたいとのたまう子だった。
ただその日はいつもより神妙だった。
彼女は神妙なまま続ける。
「本当仕事辞めたい。
でもきっと辞めることもしない、
続けるかどうかも踏み切れない。
そんなどっちつかずな自分が嫌い」
彼女は随分と深刻だった。
自身を否定するほどに。
冒頭で語った通り僕は人の意見を
頭ごなしに否定することはない。
そして余計なアドバイスをすることもない。
そもそも僕はたった2年で会社を辞めている。
転職では50社受けて50社落選という
輝かしく濁った実績がある。
そんな早漏退職者で転職敗者の僕が
「続けろ」「やめろ」と
言えることなどありはしない。
だけどそれでも久しぶりに
僕は否定から入って
余計なアドバイスをすることにした。
「でもさ。でも、どっちつかずっていう
自分の問題から逃げないでいるって
考え方もできると思うんだよ。
だからそんな自分をまず認めてあげてほしいな」
僕はなぜそんなに
彼女が自分を嫌いになるのか理解できなかった。
今の自分を認められないか理解できなかった。
もがく自分を肯定できないか理解できなかった。
分からないなりのその僕の発言に
ただ彼女はありがとうと返した。
そして一言。
「私、居酒屋で泣く女嫌いなんだよね」
と居酒屋で泣きながら答えた。
なんとも綺麗なブーメランだった。
この話、何が言いたいかと言えば
にっちもさっちも行かない現実の中でも
自分を否定しないでほしいということだ。
他でもない自分だけは自分を
傷つけないでほしいということだ。
なぜか。
自分の否定を始めた瞬間、深みにハマるからだ。
せっかく目の前の問題に向き合っているのに
その解決策を探す行動力を奪うからだ。
今の自分を認められない人に
次の一手は生まれない。
僕はそれを過去の経験から
脊髄の先まで染み渡るほど知っている。
だから
今何かを辞めたいと漏らしてる人へ
僕に辞めたいと漏らした人で
実際に仕事を辞めた人はいなかった。
それは辞めたいと語る気持ちの先には
辞めたいと思うほど今がつらいという
心情があるからじゃないだろうか。
ならば辞めたいと思うほど
つらい今を生きていることは
耐えていることは
大したもんじゃなかろうか。
忍耐を美徳するべきかの話は置いておいて
そのもがきあがく姿は
美しくはなかろうか。
少なくとも僕はそう思う。
どうだろう
僕のこの気取った文章が
少しでも自分を認める補助輪になれば嬉しい。
そして過去に辞めたいと漏らしていた人へ
そんな強者のあなたには牛乳石鹸共進社の
こんな広告コピーがふさわしい。
“やめたいと思った数は、乗り越えてきた数“
では。
ps
なんで牛乳石鹸の会社が
こんなコピー出すのかといえば
石鹸はいつも夜の入浴とセットで
夜の入浴の時に人は1日を振り返る。
だから振り返る瞬間と石鹸は共にある。
そして牛乳石鹸は肌に優しい石鹸
だから1日を振り返る瞬間に
共にあると優しいような
そんなコピーがふさわしい。
故に、これが生まれたんじゃないだろうか。
いや知らんけど。
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