大学3年、俺は”勘違い野郎”だった。
大学3年生の頃の話である。
当時、名門筑波大学のAチームに所属していた私は完全に浮かれていた。前年に、新人戦でスタートメンバーで使ってもらい、その事実で完全に”勘違い”していた。
Aチームのメンバーは名だたる強豪校出身の選手たち。アンダー世代の日本代表の選手たちに囲まれてプレーしていたので、もちろん序列でいうと下の方。それなのに、”勘違い”していた。
そんなある日のこと。
大学3年生の夏、私は、監督からBチームへの降格を言い渡された。
ショックで大号泣したのを覚えている。
今思えば、当然の報いである。
***
当時、本当に無駄にプライドが高かった。「声を出せ」と言われても、「声を出すより、プレーで結果を出す方が大事じゃん」なんて思っていた。実力無いのに。
だがしかし、モチベーションはめっちゃ高かった。高かったんだけど、プライドも高かった。だから、強い相手との1on1は避けてたし、自己肯定感が下がるのが嫌で、試合でチャレンジできていなかった。なんか「結果出す」と矛盾してない?
余談だが、バスケットボールの登録メンバーは基本的に15人で構成される。その中でも、実際に「ローテーションメンバー」として試合に絡むのは8~10人ほどだろう。監督目線でいえば、登録メンバーは全員活気のある選手たちが良い。声が出せて、盛り上げられる。落ち込んでいるメンバーには声をかけられる。そういうメンバーで固めることができたベンチは、コート上での「手強さ」に繋がる。
「声を出せる」か「声を出せないか」でいえば、当然後者の方が良いのである。それなのに私は『そんな理由でメンバーに選ばれたくないなぁ』とか思ってた。←今思うと相当痛い。
要は、天狗だったのである。上手くもないし、結果も出していないのに、なぜか練習の中で出たグッドプレーだけを自分の実力と認識して、弱い部分から目を背けていた。
自分のできないことに目を向けず、アドバイスを素直に聞き入れることが大事なのに、そこが欠落していた。と今になって思う。馬鹿め。
実際、その時期は全然成長できていなかった。
***
社会人である現在。
先日、天皇杯1次ラウンドに参加した。
70-98。三重県代表チームに大敗した。
アマチュアの世界で戦う私でも、「選手としてプレーしている間は、自己最高を目指し続ける」と決意して練習している。もちろん今回も自信が無かったわけではない。その中で戦ったゲームで大敗した。
あぁ、成長していない。
なぜだか、大学3年生の頃を思い出してしまった。
第4代K1王者、安保瑠輝也はこう言う。
”足が震えたりする経験”、最近したのかなぁ。
なんとなく「自分の限界」を決めつけて生きているのかもしれない。
なんとなく「まあ社会人だから」なんて言い訳していたのかもしれない。
***
自分は特異な存在であると思う。コーチをしながら、プレイヤーでも理想を追う。
自分の中では、この歳までっていう”区切り”は作っている。
区切りを超えると優先順位を変えるつもりだ。
だからこそ、今、限界に挑戦していきたい。
「これくらい」と決めつけず。
足が震える経験を。
時間は有限。
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