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中央公論『このマンガもすごい!』

中央公論社の中央公論12月号、表題のコラムにて、とみ新蔵作品『剣術抄』がピックアップされている。川勝徳重先生によるコラムであり、時代劇画家の相次ぐ逝去に伴い、故・平田弘史御大の実弟であるとみ新蔵先生の作品が取り上げられることになったようだ。

『とみ新蔵はさりげない所作を細かく分節化する癖がある(コラム:談)』

袴の着付けなどの所作を細かく数コマにわたり描くだけではなく、戦闘描写にもこのようなこだわりを見せる。既存の作品にもこのような細かい所作描写や戦闘に於ける分割文節説明は多かったが、特に剣術抄においてはこれが華やかであるのはよくわかる。

そもそもが、この『所作(剣術に於けるものや様々な動作)』を正しく伝えたいがために描き始めたのが剣術抄なのだ。
『柳生連也武芸帖(連載:2001~2003年)』までは、剣士がいかに他流や外の物(=剣ではない各種武器)と戦いこれに勝ちをおさめていくかをドラマチックかつ誰にでも分かりやすく描写することで人気を博し、実際の剣術性とエンターテインメントの配合が非常に良く相まっていた作品でありました。このころは術理の図解などが丁寧に分節化された描写で語られており、剣術もの、剣豪もの、時代ものを一般読者層にも広めるきっかけになったと思われます。

その後の作品が『剣術抄』を関する理由

とみ新蔵先生本人が古くから取材も相まって剣術を修めていくうちに、様々な経緯がありいまの実戦武術会があるのですが、その中で邂逅交流してきた様々な武術家との交流の中で研鑽した『術』を少しでも劇画という形で遺したいという思いから剣術抄は始まりました。
交流していた方が愛弟子となり、悲しいし別から「もみじ池で終わり……!」といっていた先生ですが、まだ生きている、目と手と頭が元気なうちは、武術家と劇画かを続ける! 「五輪書を劇画化し描かなければ」と発起して書き上げたのが、『五輪の書 独行道』です。
ちなみにこのあたりから剣術抄というサブタイトルがつくのは編集部が宣伝しやすかったからついちゃったのがほんとの処らしいです。今連載中の『愛剣』も、2回目にして剣術抄ってサブタイトルがついておりますね。
まだまだ元気ですが、アキレス腱裂傷と腱の癒着が深刻で、果たして……といった塩梅らしく、少し心配です。

なので、細かい分節化と、「分からないならもう分からなくてもいい」「伝わらないものは仕方がない」という半ばの諦めとともに作品の剣術描写が盛り込まれております次第。

もし「ほんとにそんなことができるのか」「ためしてみたい」「交流したい」と思ったなら、ぜひとも実戦武術会(代表:とみ新蔵)、または西紀までご連絡ください。
防具を着けソフト竹刀などで怪我に配慮した例しあい、確認しあいで稽古いたしましょう。


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