「占星術殺人事件」の書き出し1文を読んでみた。
好きな小説をあらためて読む。なぜこの1文から始まったのだろう。
本格ミステリー小説の金字塔的本作は、冒頭からめっちゃハードルを上げてくる。
私はすこぶる勘が鈍いので、推理小説の類は「謎を解いてやろう!」という気持ちでは読めない。
そこらへんは大人しく登場人物に任せたいタイプだ。
あと、自分の推理が違ってたら恥ずいし。
ただ、おそらく世の中には「なるべく早くトリックを解いてやろう」と意気込んで読む人もいるだろうから、本書のプロローグはそういった読者に対してなかなかに挑戦的である。
そして読み進めると、「読者の眼前には解決に必要なすべての手がかり」が示されているのだと書いてある。
やっぱり挑戦状だ。
本作は四十年も前に迷宮入りした猟奇的な殺人事件を、御手洗という探偵が解明していくというストーリー。
飄々とした御手洗のキャラクターが魅力的だ。
ただ、かなり時間が経過してしまった未解決事件を追うというのは、ある意味ちょっと熱量のこもらない、冷めた視点で挑める謎解きなのかもしれない。
それは小説を読む我々読者の立場と似ているのかも。
「不思議」ってのもミソだと思う。
どうやってこの条件で殺人を完遂できたのだろう、という不思議だ。
この事件を聞いて、倫理とか道徳なんかは一旦わきに置き、「なんでだろう?」という感想が先に起こったのだろう。
これが直近の事件であったり、身内が絡んでいたりするのなら、不謹慎に感じてしまうのではないか。
なので、いくらかは「むむむ、謎を解いてみよう」という気になっても罪悪感は薄まるだろう。
そして、誰かが起こした事件なのだから、どんなに不思議でも絶対にありえないことではないはずだ。
必ず犯人がいて、どうにかして誰にもばれずに事件を起こした。
「すっごい不思議なんですよ、この事件。」と言われたら、どれどれ?どんな話なんだい?と楽しく挑発に乗ってしまう。
チャレンジャーとして挑まざるを得ないように、読者を引きずり出す魅力的な書き出しだと思う。
≪前回取り上げた小説≫
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?