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「竜馬がゆく」の書き出し1文を読んでみた。

「小嬢(こいと)さまよ」と、源爺ちゃんが、この日のあさ、坂本家の三女の乙女の部屋の前にはいつくばり、芝居もどきの神妙さで申しあげたものであった。

「竜馬がゆく」司馬遼太郎

好きな小説をあらためて読む。なぜこの1文から始まったのだろう。

この日というのは、坂本龍馬が旅立つ前日のことである。
坂本家にはどんな人がいて、どんな環境であったか。主人公の生家の描写から、この物語は始まっている。
源爺ちゃんは坂本家の奉公人で、竜馬たちの身の回りの世話をしてくれる老人。
乙女は年の離れた姉で、竜馬にとっては早くに亡くなった母の代わりのような存在だ。
竜馬にとっては育ての親のような存在の二人だから、きっと主人公の人格形成に大きな影響を与えたのだろうな。そんなことを感じさせる書き出しだと思う。

源爺ちゃんは「芝居もどきの神妙さ」で一体何をしているのかというと、季節外れの桜が咲いている、ということを乙女に言いたかったらしい。
「小嬢(こいと)さま」とは竜馬の姉、乙女のこと。
実は桜の花は本物ではなく、源爺ちゃん手作りの折り紙のようなものだ。
作った花を、竜馬が植えた桜の若木にくっつけて、乙女や竜馬に見せたかったのだ。竜馬の旅立ちを祝して。
乙女も、桜の花を徹夜して作った源爺ちゃんがおかしくなり、笑い出してしまう。
小粋なユーモアを見せたがる源爺ちゃんと、豪快に笑う乙女姉さんは、本当に良いキャラだ。
武家でありながら、ほっこりとした雰囲気が坂本家に漂っていることが分かる。

『竜馬がゆく』は文庫本8巻の大ボリューム。
司馬遼太郎の解釈で、坂本龍馬の短くて濃い一生を描いている。
血なまぐさい幕末・維新の動乱にありながら、いつも快活な雰囲気を醸し出すのが司馬遼太郎の竜馬だと思う。
もちろん、残酷な歴史的事件を無視しているわけではないが、それでも物語として爽快感を感じるのは、ひとえに竜馬の人柄。そして、その礎となった坂本家にあるのだろう。

爽快感あふれる司馬遼太郎の『竜馬がゆく』。
最後は多くの人が知るように、志半ばで殺されてしまうのだが、決して悲壮感を感じさせない冒険活劇だ。
最初の一文は、「司馬遼太郎版」坂本龍馬のルーツである穏やかな坂本家を見せるための書き出しだと思った。

≪前回取り上げた小説≫


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