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「異邦人」の書き出し1文を読んでみた。

きょう、ママンが死んだ。

「異邦人」アルベール・カミュ著  窪田啓作訳

好きな小説をあらためて読む。なぜこの1文から始まったのだろう。

短くもショッキングな書き出し。
もちろん、ここだけ読んでも主人公ムルソーの気持ちはわからないだろう。
普通に考えれば、きっと彼は大きなショックを受けただろうなと推察できるが、この1文には感情を表す表現がまったくない。
というか、この後も基本的にはムルソーが感情をはっきりと表現するシーンは少ない。
ただ、改めて本作を読むと「人って必ずしも自分の気持ちを一から十まで説明するものでもないよな」と思ったりもする。
しかしまぁ、前回の『ハルヒ』とはまたえらい違うな。小説の書き出しって面白い。

『異邦人』は、主人公のムルソーが電報で母の死を知り、仕事を休んで急ぎ養老院(母親を預けていたところ)へと向かうところから始まる。
ムルソーは葬儀を終えると、旧友と再会し海へ行き、また仕事に行く。
その後、友人と過ごしたビーチでの諍いから殺人を犯してしまい、逮捕され裁判を受けることになってしまう、というのがこの物語のざっくりとした流れだ。
先述の通り、その過程はわりと淡々と描かれているので、彼の気持ちを理解しようとしても難しいかもしれない。
そしてそのような文体から、私は最初に読んだときムルソーに対して「なんだコイツ」と思っていた。この辺りは以前の記事でも書いた。
でも、「他人の気持ちを理解しよう」というのは、本人が理解してほしい場合を除けば、余計なお世話になるんじゃないか。
当たり前だが、私個人は単なる読者であって、ムルソーとは何ら関わりを持たない。
なので、彼の行動を深読みせずに、事の成り行きを見守っていこうという気持ちになってきた。
それもまた、物語との付き合い方のひとつかもしれない。

もちろん、登場人物の気持ちを汲み取ろうとするのも、小説の読み方のひとつだろう。
ただ、「この場面での太郎さんと花子さんの気持ちを答えなさい。」とたびたび問われてきた我々は、気持ちを推し量る行為にとらわれすぎていないだろうかとも思う。
一方で、彼は殺人事件を犯したのだから、裁判の場では自分のやったことを説明しなければならない。
もし、判決を不利にしたくないのであれば、殺人に至ったトラブルの経緯を説明すべきだし、心証をよくするためにも母親の死は悲しかったと言っておくべきだったろう。(葬儀で泣いていなかったと糾弾されていたから)
でも彼はそうしなかった。
そして、ラストに思いのたけをぶちまける。

簡潔でインパクトが強い書き出しに、あれこれ主人公の気持ちを察するのも良い。
けれど、「きょう、ママンが死んだ。」主人公がその後にとった行動と、周りの反応を静かに見守っていくのも面白い。
ムルソーっていったいどういうキャラなんだろう。
悲しくて強烈な事実の割に強い感情を出さない言葉が、逆にどういうやつが主人公になるのかという興味が掻き立てる書き出しだと思った。

≪前回取り上げた小説≫


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