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「探偵!ナイトスクープ」のWikipediaに見る〝記憶違い〟と、それを補強する〝設定付け〟

「夏休みに大阪の従兄弟の家に行くとみんなで観ていました」

「ほんとに懐かしいです。当時ナイトインナイト派とリアルナイト関西派に分かれてました」

「取材に応じる一般の方も個性のある人が多くて秋ちゃんがよくタジタジになってた記憶。。」

2020年春、「リアルナイトかんさい」という関西ローカルの情報番組の〝録画〟をYouTubeに投稿した。
これらは、その動画を見た人から寄せられたコメントのごく一部だ。

初めに断っておくと、「リアルナイトかんさい」という情報番組は実在しない。〝80〜90年代に放送されていた情報番組〟という体で作られた動画コンテンツなのだが、しかし、まるで実在したかのように振る舞われたコメントの数々に、私は目から鱗だった。

この現象は「歴史捏造」「史実改ざん」という仰々しい観点から語られることもあるが、同時に「マンデラ効果を合法的に体験できた」などと言われることもある。

私自身はというと、この不思議な現象を眺めながら、なんだかWikipediaを読むような感覚でいた。Wikipediaには(とりわけ、テレビ番組に関するページには)番組にまつわる出典の乏しいエピソードがやたらと登場する傾向があるのだが、「リアルナイトかんさい」のコメント欄はまさにそのような雰囲気を持ち合わせていたからだ。

同時に私は、こういった「テレビ番組のエピソード」に関するWikipediaの情報は、誰の記憶をもとに記述された情報なのかと疑問を持った。

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Wikipediaとの出会い

朝日放送の「探偵!ナイトスクープ」が大好きで、「Wikipediaのナイトスクープのページ」を徹底的に読み込んでいた時期があった。13歳の春だ。

ナイトスクープのWikipediaのページはめちゃくちゃ面白い。なぜなら、30年以上に及ぶ番組の歴史が記述されているからだ。その内容の充実度合いから、もはや歴史解説書といっても過言ではない。

「こんな人が探偵として出演していたの!?」とか、「こんなアクシデントがあったんだ…」とか。自分の世代では知り得ない番組の奥深い歴史が、人々の視聴体験によって記されている。

「初代秘書=嘉門達夫」という〝記憶違い〟

改めて調べてみると、「探偵!ナイトスクープ」のWikipediaのページが作られたのは、2004年1月6日(火)の午前6時10分らしい。初版の記述は以下の通り。

1990年に大阪ローカルでスタートした素人参加番組。 視聴者から寄せられた素朴な疑問を探偵局員(当初の探偵局長は上岡龍太郎氏だったが、現在は西田敏行氏)が投稿した視聴者共々調査し、その結果を発表する。探偵局員は主として関西のお笑いタレントが勤める。
(Wikipediaより)

全部でたったこれだけだ。(現在の「ナイトスクープ のWikipediaページ」をご覧いただくと、情報量の多さに驚かれると思います)

朝6時に「ナイトスクープのページを作ろう!」と考えた主の経緯も気になるが… しかし、このページはたった数分のうちに情報量を増していく。編集履歴ページを見ると、複数人によって追記され、徐々に情報量が増えてゆく様子がうかがえる。

そして、約1時間半後の午前7時48分。ある重要な記述が追加された。それは…

初代秘書として嘉門達夫(探偵と兼務)、現在は二代目秘書として岡部まりが出演している。
(Wikipediaより)

「初代秘書として嘉門達夫」、つまり「秘書役として最初に出演していたのは、嘉門達夫」というものだ。

しかし、結論から言えばこれは間違い

実際には初代秘書を務めたのは、女優の松原千明だ。松原は番組初回放送から秘書役として出演していたため、「初代秘書=嘉門達夫」というのは明白な誤情報なのだ。

誤情報は〝設定付け〟されて残り続けた

それから約2か月後。2004年3月15日時点では、「初代秘書=松原千明」という正しい記述がみられるのだが、「嘉門達夫も秘書を務めていた」という情報は、削除されるどころか、思わぬ展開を迎えていた。

零代秘書として嘉門達夫(探偵と兼務)、初代秘書として松原千明
(Wikipediaより)

なんと、「嘉門達夫は〝零代目秘書〟だった」という設定が付け加えられているのだ。

先述の通り、番組の初回から秘書を務めていたのは松原千明だ。初回以前に嘉門達夫が秘書役を担当していた…というのは、論理的に破綻している。

その後も、この記述は削除されることなく

当初は嘉門達夫が探偵と兼務する形でおこなっていた(零代目秘書)。その後、初代秘書として松原千明が就任。
(Wikipediaから)

といった形で残されていた。

それから長い月日が過ぎ、2006年7月14日。当該部分はようやく削除されている。
つまり約2年半もの間、「記憶違い」に加えて「零代目秘書」という設定が付け加えられ、誤情報が掲載されていたことになる。

奇しくも、記述が削除された7月14日は、「番組初回放送の映像」を収録したDVDが発売された日だ。もしかすると、それを見た人がWikipediaの間違いに気付き、削除したのかもしれない。

補強された誤情報に潜む罠

番組黎明期の苦悩や挑戦を描いた番組本『探偵!ナイトスクープ アホの遺伝子』が発売されたのは2005年4月。番組の初回放送を収録したDVDが発売されたのが2006年7月14日。いずれも、Wikipediaに問題の記述が書かれた後に発売されている。

これらを鑑みると、Wikipediaに書かれた一連の情報は「誰かの記憶」によって記されたものであると推測される。

では、なぜ「嘉門達夫は秘書だ」と書いた人がいたのか。その答えになりうるかもしれない〝ある事実〟が、過去の放送リストから浮かび上がった。

『探偵!ナイトスクープ アホの遺伝子』によると、初代秘書の松原千明は、1989年2月11日~3月4日の4週分にわたって収録を欠席しており、その間、探偵役1名が輪番制で秘書の代打を務めたことがあったようだ。

この2月11日の放送回で、嘉門達夫が秘書代理として出演していたのだ。

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なぜ「嘉門達夫=〝零代目秘書〟」という情報が2年半も独り歩きしていたのか?これは全くの私見だが、

1989年2月11日の放送回を見た人が、それから約15年の時の流れのなかで「番組初期の頃は嘉門達夫が秘書だった」と記憶違いを起こし、「初代秘書として嘉門達夫」と記述したのではないだろうか。

しかし、その後「初代秘書=松原千明」という情報が登場し、「初代秘書=嘉門達夫」という情報は真偽不明となってしまう。宙ぶらりんになった「初代秘書=嘉門達夫」という情報は、第三者によって「零代目秘書」という設定が与えられた…

つまり、記憶違いによる誤情報が、「零代目秘書」という設定によって補強されることで、信ぴょう性を高めたということだ。

当時の放送内容を知らない人はもちろん、知る人さえも「自分が知らなかっただけだ」と、この〝設定〟を何の疑いもなく受け入れた。だから誤情報は2年半もの間〝正しい情報〟として生き続けた…

…といったことが、あのWikipediaのページ上で起きていたのかもしれない。

集合知の魅力と危険性

出典はない。だけど、「人々の記憶だけを頼りに記された具体的なエピソード」というのは、なんだか妙にリアルで、そして面白い。

過去のテレビ番組はロマンに溢れている。それは、現代では通用しない当時ならではの映像演出だけではなく、その番組を取り巻く「エピソード」が、更にロマンあふれるものに昇華させているように思える。

「リアルナイトかんさい」というコンテンツは、そうした「エピソード」を設定として楽しむことが合法的に許されている、貴重な場なのかもしれない。

嘉門達夫が初代秘書でなかったら困るという人はいないだろう。だが、こういった誤解が国の歴史に関わる部分で起こったらどうだろうか。過去だけではない。いま起こっていることについても、だ。人々のあいまいな記憶によって蓄積された情報が、後世に残ったら…。

大量の情報を前に、私たちはそれらを精査するという任務も課せられているのかもしれない。


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