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母の癌が見つかってから。

僕の母は2019年の3月の終わりくらいから急に体調が悪くなり、4月終わりに肺腺癌(肺癌のひとつ)が見つかりました。既にステージ4でした。3月まで元気だった母が、直近の人間ドックも全く問題なかった母が、ステージ4の癌でした。うちは母子家庭だっから僕に心配かけないように強がったのか、僕には病状も伝えず、苦しむ姿をあまり見せなかったのと、当時の僕は高校に入ったばかりで自分のことに精一杯だったのでよく考えていなかったので、なんとなく治るだろって思ってました。5月にも長野に2泊3日で旅行に行ったり、休日には母と2人でランチに出かけたり、最初の頃は少し体力落ちたなくらいにしか思ってませんでした。今思うと無理してたんだな、ほんとに申し訳ないとしか考えれません。

七月、今まで使っていた抗がん剤がそんなに効いていなかったので種類を変えました。2日後から髪が抜け出して、5日後にはほぼ抜け落ちました。さすがに母も、すこしネガティブな発言をするようになってきました。僕もその頃になって、ちゃんと母に今の病状を聞きました。そして癌について調べました。見つかった頃には既に両肺に癌があり、手術、放射線治療はできないこと。余命が約1年から2年だということ。その日の夜はずっと泣いていました。母にバレないように泣きました。なんで母さんが。なんで俺は健康のまま。今までどこにも行くにも一緒にだった母が、1年後にはいないかもしれない。そう考えると涙が止まらなかったのを覚えています。

それからは入退院の繰り返しでした。
8月の終わりに病院に見舞いに行った帰り、祖母から医者にもう治る可能性は少ないって言われたと聞いた時はその場で大号泣してしまいました。祖母も泣かせてしまったぐらい泣いてしまいました。泣く時は1人でなく、家族の前では笑顔って決めていたのに、我慢しようとしても、どれだけ涙を拭っても、止まりませんでした。

9月はまだ歩けていたので、元父親に協力してもらい日帰りで思い出の場所や、行きたかった場所色んなところに行きました。
僕も1人で、神社やお寺を回ってとにかく少しでも良くなってくださいと何度も何度も頼みました。

2月の母の誕生日。初めてプレゼントを送りました。渡す寸前に喧嘩してしまいましたけど、渡せました。高校生の息子が母にプレゼントを渡すことはとても難易度が高いです。
母は隠してましたけど、喜んでるのバレバレでした。あげてよかったと思います。

しかし、3月に入って著しく体調が悪くなっていきました。家事をする体調さえなくなってきました。話すことさえ辛いって言うほどでした。肺のレントゲンは半分以上白かったそうです。僕も付きっきりでサポートするようになりました。

3月24日、曾祖母が亡くなりました。急死でした。お葬式では、曾祖母が亡くなったかなしさと、もうすぐ母もこうなるのかも知れないとつい考えてしまい、すごく泣きました。僕が小さいからから記憶があり、凄くお世話になった方が亡くなるのは初で、人が亡くなることの悲しさを知りました。火葬の時は耐えられないくらい辛かったです。

3月末にまた抗がん剤を変えました。母はこれが効かんかったら最後の薬にすると言いました。抗がん剤を始めた頃は思ったよりも辛くなかったわって笑いながら言ってたのは、全部無理してたんかなって思うとほんとに色々と悔しくて、やっぱりすごく辛かったのに何もできず頑張れとしか言えなかった自分がとても悔しくて、涙が止まりませんでした。

その薬もやっぱり効果は見られませんでした。抗がん剤の副作用をくらっただけでした。抗がん剤で苦しむ姿をみるのはとても辛いです。がん治療をやめ、緩和ケアのみを行うことになりました。緩和ケアとは身体的・精神的な苦痛を和らげるためのケアのことです。

4月の半ばに3週間ぶりに母が家に帰ってきました。退院のときに主治医からは、次また入院することになったらもう家には帰れないかもと言われました。リビングから十歩足らずで行けるトイレに行くだけですごく息があがります。お風呂から上がると脱衣所で床に座り込んでしまいます。それでも母はなんでも1人でしようとします。ほんとに強がりなのです。
僕は母にどう接すればいいのかわからなくなりました。母は僕に心配かけないようにしますが、どうしても心配してしまいます。見守ることができないほど、見ているのが辛いです。夜も咳が止まらず、寝れない母に僕は何もできません。ほんとに悔しいです。

4月26日に母に、家にいても日向に迷惑かけるだけだから入院するねと言われました。何も言えませんでした。ほんとは少しでも一緒にいたかったのに、家にいてとは言えませんでした。入院しても、もう治療はしないので、家にいようが病院にいようが辛さは同じ。なら家にいてもいいじゃん。俺がなんでも助けるよ。そう言いたかったですけど言えませんでした。

27日、何も話しかけることができませんでした。必死に涙を堪えることしかできませんでした。病院に向かう車をただ見送ることしかできませんでした。

お昼、母からLINEが来ました。

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ほんとに強がりな母です(笑)
とても辛い思いしてるのに、こんな時でも笑わかせてくれます。ほんとに母は偉大なり。


癌が見つかってからの1年間、僕は母に何も出なかったです。バレないように泣くことしかできなかったです。ほんとに悔しいです。自分はずっと小さい頃から母のことが大好きで、ずっと一緒でした。これからもずっと一緒にいたいです。残された時間、自分が出来ることをみつけ、しっかりサポートしていきます。
もし回復したらセレッソ一緒に見に行きたいな。

読んでくださった皆様へ。
読みにくい文章ですが最後まで読んでいただきありがとうございます。癌は必ず治る病気ではありません。絶対かからない病気でもありません。他の病気でもそういえます。定期的な検査しっかり行ってください。命以上に大切なものなんてありません。そして家族、友達大切にしてください。家族はとても大切です。些細なことでも感謝の言葉は忘れずに、家出る時は行ってきます、行ってらっしゃいを忘れずに。そして友達の存在は大きいです。いろいろと助けてくれます。大事にしてください。

下手くそな文でごめんなさい。これからも母と一緒に頑張っていきます!

いただいたサポートは何かしら母のために使わせていただきます。よろしくお願いします!