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5ヵ月いても慣れないこと

スリランカ生活も5ヵ月を突破し、そろそろ半年を目前に控えいる。つい1ヵ月前まで何をするにも、はじめてのおつかい状態で毎回勇気を振り絞りながらの行動だった。さらには、それらの行動を通してビックリしたり嬉しくなったりと感情のジェットコースターも激しくて、夜な夜な日本に早く帰りたいと思いながら寝ることもあった。

しかし、ここ最近は激しく日本に帰りたいと思うこともなく、淡々とスリランカでの生活を送れるようになった。これもある種の慣れなのだろうか?普通にスーパーで買い物して、普通に道端で話しかけてくる人を無視して、普通にバスに乗って、普通にサリー着て、何事も遅れることが前提で普通に準備して…。周囲も自分も1つ1つの行動にそこまで驚かなくなってきたことに気付き始め、これが生活をしていくということなのだろう、と感じていた。ここまで約半年、長いようで短かった。

その一方で、約半年生活してても慣れないことも出てきた。それはスリランカの学生達の中で時々発生する無秩序感だ。(恐らく子どもや若者に限った話じゃないと思う)
例えば、午後の自習時間なんかは先生が教室にいないとすぐに映画を見出したり、音楽を流し始めたりする。さらに徐々時間が経つにつれ、トランプで遊び始めたり、喋り声が大きくなっていく。そして気付けば騒がしい教室が完成してしまう。(きっと日本式の注意の仕方ではスリランカラマイには温すぎるのだろう)

そこで私は、割り切って無秩序感の中でも無を貫き通すことをしていた。しかし、最近になって、私はどうもこの無秩序感が苦手なことに気付いた。どうこうしたいとまでは思わないけど、とにかくその場にいるのは嫌という感覚で、少しでも無秩序感の気配を察知すると教室から出るようになっていた。しかし、どうしてここまで無秩序感に苦手意識を感じるのだろうか?

音楽を流し始めた生徒を見て、私は「なんでイヤホンを使わずに垂れ流しにするのだろう?」と思った。しかもその生徒は全然悪びれる様子もない。もしかしたら、遊びのスケールが日本の学生に比べてスリランカラマイは大きいのかもしれない。日本だったら、自習時間に遊ぶとしても、ノートに絵を書いたり、パラパラ漫画作ったり、めちゃくちゃ小さい折り紙を折るぐらいだった気がする。しかし、スリランカラマイはもっと壮大だ。トランプだけではなくて、フルーツを買ってきてカットし始めるラマイもいる。それに比べると、絵を書いたり、PCゲームで遊ぶ子なんて可愛いものである。

正直、これは子どもとか若者に限った話ではないのだろう、だからこそスリランカはトップダウン式に上のものは下のものをしっかりと指導する必要がある、みたいな話になるのかもしれない。そう思うと日本の国民国家ってすごいものだったんだろうか?この無秩序感が苦手なのはどこから来てるのか、とにかく不思議で、ついつい色々考えてしまう。

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